04-08 Saeko Talk (side Ryo)

第4部 Report

奥多摩翌日の夕方から夜


(8)Saeko Talk (side Ryo) *******************************************************1858文字くらい



6階と7階の間にある吹き抜けの書籍コーナーに寄り、

東京湾の地図を出す。

「大井埠頭か…。」

新宿から比較的近いので、泊まり込みになることはなさそうだ。

地図を持ってリビングに行く。

「冴子からも情報あったら聞いておくか。

この時間だったら、まだ署だろ。」

子機を取り、慣れた番号を押す。



『…もしもし。』

「よぉ、昨日は大変だったろ。」

『…撩、……大変じゃすまなかったわよっ!』

「まぁ、人数が人数だったからな。」

『ほぼ全員警察病院に入院よ。』

「俺は手加減したんだぜ。容赦しなかったのはタコの方だ。」

結婚式を邪魔されたくせに、奴もよく抑えたもんだ。

『よくあの人数で死者を出さなかったわね。』

「ホトケサンが増えると後処理が余計に大変だろ?」

電話から、はぁとため息が聞こえる。

『……仲間割れが起きて、

身内同士の撃ち合いということにしておいたわ。』

「そりゃどーも。」

『クロイツは、国に強制送還で死刑か終身刑ね。

部下の刑は少しだけ軽くなるみたいだけど。』

「御愁傷様〜。」

『……撩、……おめでと。』

突然の祝いの言葉。

「は?」



冴子とは、あの後、教会で会ってからすぐに別行動だったから、

俺たちのことをまだ知る訳ないのだが…。

『あなたたちが、あの現場から戻ってきた時、すぐに分かったわ。』

「へ?な、なにを?」

『あなたも、ごまかすのが下手になったものね。』

「なぁーんのことかな?冴子くん。」

な、なんだよ!あの一瞬のやりとりで何か分かってぇーの?



『これで槇村も一安心しているでしょうね。』

ああ、奴の名を出されちまったら、もうどうしようもないな…。

『撩、もう香さんを悲しませるようなことはしないでよ。』

「んーっとうに、どいつもこいつも同じセリフばっかりだなっ!」

『当ったり前でしょっ!あなたのいい加減な態度が

周りをどれだけ心配させて、香さんを苦しめてきたと思ってんのよっ!』

一気に感情を込めた早口言葉のあと、ふーと一息入るのが耳に届く。

同時に苦しめてきた、というフレーズに内心ズキリとくる。



『…本当に、良かったわ。』

「あー、もう話題を変えてもいいかぁ?」

『逃げのいい訳にしては使い古したセリフね。』

くすりと小さな笑い声が聞こえる。

「いや、ちょっと教えてもらいたいことがあってな。」

『これに上乗せして借りを作る気?』

「貸しているもののほうが多いと思うんだが…。」

『あら?本気で請求する気?』

「もっちろん!」

もちろん本気でもっこりで払ってもらおうとは露とも思っていないが、

ここはいつも通りのやりとりでごまかしておく。



『で、ご用件は?』

軽く流されてしまった。

「あー、っと最近の大井埠頭の動きについて何か知っていることはないか?」

『……。』

「冴子?」

『…それ、どこ情報?』

「あぁん、俺が聞いてんだぜ?何かありそうだな。」

『こっちもまだ詳しい情報は手にいれてないけど…、

南ガルシア共和国が関わっている事案があるわ。』

「南ガルシアだって?」

以前、CIAの日本人が殺され、

運び屋の姉ちゃんこと小林みゆきちゃんと香が、

あっちの諜報員とやりあったことがある。

『警察も一応警戒してるの。だけど詳しい情報は分からないの。』

「ふーん。」

タコの声に緊張感があったのがこのせいか?

『撩、何かあったら教えて。できるだけこっちも動けるようにしておくから。』

「んー、じゃ。Xデーは、たぶん3日後ってことだけ、言っておくわ。」

『え?3日後?』

「当日まであまり現場をウロつかないでくれよ。」

『そうね。怪しまれて警戒度が高くなったら動くものも動かないものね。』

「進展があったら連絡する。」

『そ、分かったわ。』

「じゃあな。」

『あ!ちょっと待って!撩!』

「んだよ。」

『これって、香さんには内緒なの?』

「いんや、あいつもちゃんと知ってるぜ。」

『そ、よかった。じゃあね。』

プッ、ツー、ツー、ツー。

「なーんで、わざわざ確認するかね。」



俺は子機を戻して、得られた情報から拾い出しをする。

南ガルシアは、未だ不安定な軍事情勢で、

国家レベルで武器やヤクの密輸密売に絡んでいる。

ということは、今回はちんけなヤクザ相手とは違うってことだな。

おおよそ、国内の武器密売ルートから、南ガルシアへ輸出するってところを

止めさせるのが今回の裏方仕事か。

ソファーに座ったまま、テーブルの上の地図を眺める。

しかし、あのタコ、どういう経由でこの依頼を受けたんだ?

まぁ、明日聞けばいい。

埠頭周辺の道路や公共施設、地形、その他諸々を頭にインプットし、

地図を閉じて、ごろんとソファーに転がった。


***********************************
(9)につづく。





原作では、色々な小国の関係者が登場しましたが、
なんとなくマジでヤバそうな国として、
当サイトでは、再度南ガルシアを出させて頂きました。
という訳で、もうすぐ就寝タイムで〜す。



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04-07 Dinner (side Ryo)

第4部 Report

奥多摩翌日の夕方から夜


(7)Dinner (side Ryo)*************************************************************2711文字くらい



扉を開けると、ダイニングテーブルにはすでに配膳がされていた。

「お、今日は魚か。」

そういえば、昼飯の後、アジが冷凍庫から出されていたな。

大皿盛りで、マアジのマリネがたっぷり用意され、

マカロニサラダに、豆腐と油揚げの味噌汁。

青物のお浸し、デザートにキウイフルーツ。

そこに、どんぶり山盛り一杯の俺の飯がよそわれ、手渡される。

「はい、どーぞ。」

「ぉ、おう。」

いつの頃からか、こうして香の作る手料理を味わうことが

『普通』になってしまった。

成長期にジャングルで食べてきたものを思い返すと、

考えられないような食生活と食環境。

これが今、当たり前になっている。



「じゃ、食べよう。頂きまーす。」

香は、エプロンを取り、俺と対面に座り、箸を持ったまま手を合わせた。

「用意が遅くなってごめんね。」

「いんや。」

箸を主菜に伸ばし、はぐはぐと口に運ぶ。

調味液に浸ったしっとりした部分と、

揚げたサクサクする異なった食感が酢の酸味で包まれ、野菜と魚の旨味もある。

「うまい。」



ガシャ!

香は、左手に持っていた茶碗をテーブルに落とした。

右手は箸を持ったまま、目を点にしてフリーズしている。

「おいおい、どうした?大丈夫か?」

思わず立ち上がって、斜めに転がっている茶碗を起こしてやった。

焦点を失っている香の目の前に、

手の平をひらひら振って、再度呼んでみる。

「か、香?」

はっと、我に帰った香は、瞬時に赤くなった。

な、なんだぁ?



「……ぁ、っと、…ご、ごめん。……驚いちゃって。」

は?ナニを?

困惑している俺の前で、香は目が潤んでいる。

だぁ!なんで涙腺緩んでんだよ!俺なんかしたっけか?

いや、今までのことを考えれば心当たりはありすぎるんだが…。



「……は、初めて、…聞いた、から…。」

白く細い指で目尻にたまった涙の滴を払う香の言葉は、

すぐには理解できなかった。

なぜなら、香が初めて聞いたという俺のさっきの言葉は、

俺自身、無意識にポロッと出てしまった単語だったからだ。



「……撩が、……あたしが作った食事に、

……うまいなんて、今まで聞いたこと、なかったから……。」

香は鼻をすすりながら、そう答えた。

今までは、美味しくても素直に言えずに、

捻くれて憎まれ口ばかり叩いていたのだ。

たった一言で、香が嬉し泣きするくらいだったら、

なんで今まで言ってやれなかったんだと、もう一人の俺が訴える。

照れくさくて言えっかよと、またもう一人の俺が答える。



「ばぁか、ほれ冷めちまうぞ。食おうぜ。」

俺は片手をテーブルについて、もう片方で香の頭をくしゃりと撫でた。

表の世界に帰すこと意識して、

ここに引きとどまらせるようなことをしないために、

あえて、その容姿も料理も性格をも、

表立って褒めることができなかった。

むしろ口から出ていたのはその逆のことばかり。

今、そのいい訳をくどくど言うよりも、まずは食うこと促した。

「う、うん。……あ、よかった。ご飯がこぼれなくて。」

茶碗を取り直して、クスッとほころんだ。



端からみたら、夫婦か恋人同士が

一緒に食事している光景にしか見えないだろうその空間は、

形だけは、もう何年も繰り返されてきた風景。

しかし、当の本人たちは、

兄妹でもなく、恋人でもなく、夫婦でもなく、

ただの仕事のパートナーという肩書きのもと、

繰り広げられて来た日常。

まゆ子ちゃんの言葉が蘇る。



— 長年連れ添った夫婦でもできないこと —

— 二人はそれ以上の関係なの? —



一体そういう関係を、日本語ではどう表現するのか。

否、存在しない。

夫婦以上。

なのに、男と女としての関係は綱渡りのような不安定さの中にあった。

やっとお互いその綱から降りることができて、

土の上に足を着けられたというところか。



食べながら、そんなことを思いめぐらせていた俺は、

香もいつもの食欲が完全に戻っていることに安心した。

夕べは本当に食うのも辛そうだったからなぁ。



「はぁー、食った食った!ごっそさん。」

「あ、今、コーヒーいれるわ。」

食事中、弱火で加熱中だったヤカンには、すでに沸騰直前のお湯が待機している。

香も食事を終え、立ち上がってガスを強火にし、

コーヒーの準備を始めた。

同時に、食器も下げていく手際のよさは、

もう十分な『主婦歴』によるものか。

俺は、今朝読み損なった新聞に軽く目を通す。

特に目立った事案はなし、と。



「あのさ、俺、明日午後は海坊主と出かけてくるわ。」

「え?あっ!海坊主さんのお仕事手伝うの?」

ミルを轢きながら香が声を高くする。

「ああ、早く終わらせて美樹ちゃんとこに戻ってもらわねぇーと。」

「そっか。」

ふふ、と微笑む香。

「な、なんだよ。」

「ううん、なんか、海坊主さんも撩も、お互い友達想いなんだなぁと思って。」

「ばっ、ばぁか!あいつのためじゃねえよ!美樹ちゃんのためっ!」

その延長線上には、香のため、自分のためというエゴもあるが、

なぜだか照れくさくなり新聞をバサリと持ち直し、顔を隠した。



「…3、4日かかるかもしれん。」

「うん、わかった。……気をつけてね。」

香はコーヒーを差し出しながら、

僅かに顔を曇らせたが、すぐにいつもの振る舞いになる。



ダイニングキッチンに、食後のコーヒーの香りが漂う。

香は、自分の分はいれずに、食器洗いと明日の下ごしらえを始めた。

なんだよ、一緒に飲まねえのかよ。

当然、二人でコーヒータイムを楽しめると思っていたので、

やや淋しさと苛立ちを感じる。

こんなことで、ヘソをまげる自分が、情けないやら、むずがゆいやら。



「明日は、早起きしなきゃ。

午前中に伝言板見て、洗濯して、掃除して、買い物行って、

昼前に教授の家に着いたら、お昼ご飯作って、

きっとあっちも洗濯物あると思うから、このまま晴れが続いてくれればいいけど。」

香は、翌日の予定をイメージしながら、ぺらぺらと喋る。



「だから撩、寝坊しないでよ!」

「…あーい。」

ああ、だから朝飯の準備も今やってんのか。

ったく、ホント世話好きなんだよな。

自分のことは後回しでなぁ。

俺は、飲み終わったコーヒーをシンクに運んだ。

「ごっそさん。」

「あ、そこに置いておいて。」



今まではこの時間、香から逃げるように、

情報収集という言い訳で

夜な夜な新宿の歓楽街を彷徨っていたが、

もう逃亡の必要はない。

接近したとたん、食器を洗う香を掻き抱きたくなったが、

まぁ、作業の邪魔をしちゃなんだからな。

「おまぁも無理すんなよ。」

茶色のくせ毛をまたくしゃりと撫で、そばを離れた。

きょとんとした顔で、ほんのり朱にそまる香は、一瞬あれ?という顔をする。

「りょ…、今日は出かけないの?」

「あぁ、ちょっと地図見て、明日の予習してくるわ。」

片手を上げながら、キッチンを後にした。


***********************************************
(8)につづく。





迷いましたが、「うまい」と言わせてしまいました。
「愛している」は言えなくても、
これくらいは、ちゃんとカオリンにナマで言ってもらわんと。
いつも美味しい食事を作ってもらってんだから、
一度くらいはぽろっと言わせちゃろうかと思った次第です。
当サイトは、カオリンを喜ばせるために作ったようなもんなので、
今後、糖分高めの撩の言動が出てくるかもしれませんが、
イメージから脱線しちゃたらごめんなさーい。

【追記】
本日、なんと10000Hitを越えました。
サイトオープンから3ヶ月を迎える前に、
5ケタの数字を頂けるとは、本当に驚いております。
改めて感謝申し上げます。
他のサイト様では、キリ番リクのサービス等もありますが、
当方、とりあえず記念SSを作ってみました。
よろしければご覧下さいませ〜。
2012.06.27.21:13

【今更訂正】
煎れる⇒いれるに修正!
Sさんご連絡感謝!
2014.02.11:23:50

SS-01 Night Of Ami&Mami's House

Toad Lily   Short Short 01


10000hit 記念 

原作穴埋めバージョン  

1989年9月1日の夜

完全版22巻 第224話「ふたつの顔をもつ女!?」より。



(SS-01)Night Of Ami&Mami’s House ---------------------------------------3193文字くらい



「………わたしよりお酒に弱い人がいるのね たったひと口で…」



「んががが…」

「すや〜」



一度部屋を出て、思いついた物を取りに行く麻美。

その間、座っていた体勢からゆっくりと横になる二人。

そこに、タオルケットを持ち直しながら麻美が戻ってきた。

「なんだか変わった人たちね」

くすりと微笑む。

「でも、いい人たち…」

静かにゆっくりとタオルケットをソファーの二人にかける。

「いっしょにいると…心が落ち着く…」

一拍二人の寝顔を見つめてみた。

「おやすみなさい」

音を立てないように、そっと部屋を出ようとする。

スイッチに指をかけ、ふっと息を吐く。


パチン…。

照明を消す音だけが残った。



「むにゃ むにゃ 亜美ちゃぁ〜〜ん」

「ん〜 させるか〜」


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。




「……………どぉーすっかなぁ…。」



香は、完全に睡眠薬が効き熟睡状態。

座っている状態から、わざと横抱きに倒したのも撩。

エンジェルダストの唯一の後遺症、

睡眠薬や麻酔などの薬物が効きにくい体質の撩は

たった一口分に含まれているあんな量では全く効果がない。

こんな流れを作ってしまった自分の心理を分析してみる撩。



(……いやさ…、撩ちゃんさぁ…、

あんまりにも、香ちゃんとくっつき過ぎてなぁ…。)



これが妙な悪戯心を育ててしまったようだ。



香の夏の薄着で露出する白い肌が黒のタンクトップに映え、

形のいい肩から二の腕、胸元の谷間に、

鎖骨とうなじのラインがどうしても意識から離れず…。



(えーと…、このマンションに来てからぁ…、

怖がる香にずっとひっつかれてぇ…、

香の体温と匂いがもろ近くてぇ…。)



自分の左頬に香の右腕の上腕が触れている。

二の腕の柔らかさに、吸い付く質感に、

切れてはいけない糸が切れそうになる。



(むき出しの肌になるべく目をやらないように、

ささやかな努力はしていたんだがなぁ。

まったく、なぁーんで、あんな服を着てまわるんだよぉ。)



完全に深い眠りに陥っている香は、今の状況を理解しているはずもない。



アパートから着替えを取りに戻った香が、

自分のもっこり虫を抑えるために、何か行動をすることは読めていた。

スコッチが出て来た時点で、

香がかずえから非常用にもらっていた睡眠薬を使うこともすぐに分かった。



(お前の行動は分かりやすいからなぁー。

だが、俺が薬で寝込んでいる時に、何かあったら、

おまぁ、どーするつもりだったんだ?

まぁ、俺が何か飲まされて動けなくなるっつーのはまずないがな。)

くすりと笑う。

(まったく、麻美ちゃんを俺から守ることしか頭になかったっつーんだろ。

ま、お前らしいけどな。)



右腕をそっと動かし、香の髪にゆっくり触れた。

香の意識があるときは、決して出来ない行為。



甘んじて、香の作戦に乗り、自分も香を眠らせることにして、

この状態に持って行くことまでは想定内。

自分を煽った仕返しに、これくらいのイタズラは許されるだろうと、

流れで作ってしまったこのシチュエーション。



(ばか…かも、俺…。)



はっきり言って拷問以外の何物でもない。



香のぬくもりと匂いと息づかいを、こんなに間近で感じながら、

手を出すことが許されない自分たちの関係。

香は、きっと朝まで爆睡。

だったらすぐにソファーから出ればいいのだか、

あまりにも心地良く、この感触からどうしても離れることができない。



(目が覚めたら、とんでもないことになるだろうなぁ…。)



さゆりが来てから、そしてマリーが来てから、

手放すことへの可能性がほんの僅かながら縮小してきた。

しかし、やはりこの世界にとどめておくことへの抵抗感と罪悪感はぬぐい去れない。

一方で、香に遠慮無しに触れたい思いは日々膨らむばかり。



ただ、それには自分たちの間にある壁を取り払わなければならなくなる。

今までの関係が壊れる行為。

しかし、今は撩も香も、それを実行に移す勇気も覚悟もない。

触れたいのに、触れられない。

おでこにちゅっから、進展はないのだ。




だから、こんな猿芝居をして、

日頃のジレンマからくるストレス解消にと、

イタズラを仕掛けたのだが…。




(かえってフラストレーションの目盛りは上がっちまうじゃねぇーか…。)



撩は目を閉じ、少し顔をずらして、

香の二の腕の裏に触れるだけのキスをした。

そのまま吸い付き、舐め回し、ぱくっと甘噛みしたいのを抑えに抑えて、

すっと香の肌から香る甘い匂いを鼻腔に吸い込んだ。



(…いいオンナ、だよな…。)



スタイルも、性格も、技術も。

本人はそう思っていないかもしれないが、

香の存在で救われている人間がどれほどいることか。

その最たる恩恵を受けているのは、紛れもなく自分自身。



香の横顔を見ながら、ひとつひとつのパーツを確認していく。

長い睫毛に、形のいい高い鼻筋。

瑞々しい唇に、シミのない白い肌。

愛らしい寝顔にドキリとする。



(ここで、秘密のちゅうーなんてしちまったら、繋いでいる獣が暴れ出すだろうな…。)



間違いは起したくない。

ただ触れているだけで流れ込んでくる幸福感と、

もっとと叫ぶ本能がぶつかり合う。



(朝までこのままで耐えられるかぁ?)



めったにないチャンスであることには違いない。

今、現在、

素の香とはこんなことは出来やしないのだから。

ならば、たっぷり感触を楽しんでおこうと、

右腕を動かそうとするも、槇村が上から見ているような気がして、

筋肉の動きを止めた。



「槇ちゃん、安心しな。同意無しに不埒なことはしねぇーから…。」



このところ頻度が増えた、香の部屋への深夜訪問を棚にあげ、

撩は、右腕で香を抱き直し、自分のほうに引き寄せた。

(ソファーから落ちないようにするためだぞっ。)

誰に言い訳をしているのか、

より密着した体位にわずかながら自分の心拍数があがる。



願わくば、毎晩香をこうして抱き込んで眠りにつきたい。

奥深く抑え込んでいた願望がダイレクトに脳に遡(さかのぼ)ってくる。



「……香。」



鼻先にくすぐるクセっ毛の柔らかさが気持ちいい。



もし、香を表の世界に戻したら、

香をこうして抱いて寝るのは他の男。

そう思っただけで、

まだ居もしない相手に強烈な嫉妬心が湧いて出る。



「…卑怯なのは、分かってるさ…。」



このどっちつかずの状況で、

香を深く苦しめているのも十分分かっている。

手放したくない、しかしこの世界に身を堕とさせたくない。

矛盾した揺れる天秤に向き合わされる。

自分が仕掛けた悪戯で、自分の首がぎちっと絞まっていく。



ふっと小さく息を吐き出し、

香の髪をゆっくり掻き揚げた。



「りょ…。」



細く開いた口から、小さく自分の名が紡がれた。



「……香。」



撩は目を閉じ、香をきつく抱き直し、髪に鼻を埋めた。

そのまま深く口づけをしたい衝動に重い蓋をしてなんとかやり過ごす。



ただ、腕の中のぬくもりと、鼓動と、香りを、

寸分も逃したくない想いで、

そのまま時間を静かに重ねて行った。





結局、朝まで眠れず、

香の睡眠薬が切れる時間となった。




覚醒する香の気配を感じる。

(即ハンマーを食らえるようにしておくか…。

中途半端な状態よりは、間違いなく食らえる方がいいよな…。)



撩は、やや迷って少しだけ香の体勢を変えた。

(香すまんっ!)

素早くタンクトップの中に潜り込んで、胸の谷間に顎を埋めた。

(うおっ!すげぇいいぃぃぃぃ。やべぇぞ、これっ!やばすぎるっ!

香っ!早く起きてくれっ!このまま襲っちまうぞっ!)

あまりにも良過ぎる香の肌の感触に、理性の限界一杯一杯。




チュン…チュンチュン…、チチチッ

「……う  う〜〜ん?」

眩しさとスズメの鳴き声で目が覚める香。

「な なに?  この胸の圧迫感は…」

「ごがぁ〜〜」

「………」

「んごほ〜〜」

「ひ…  ひ…ぎ…ぎっ  きゃああああああ」




あとは、皆さんご存知の通り。

1989年9月3日の朝のこと。

--------------------------------------------
おしまいっ。




という訳で、本編よりも1時間早く
10000hit記念をアップしてみました〜。
イメージ違うじゃーん、と思われたらごめんなさいっ!
日頃のお礼の代わりには届かないかもしれませんが、
全ての読者のみなさまに感謝申し上げます。

【訂正・追記】
カオリンのハンマー調査をしていたら、
第228話で出てきた「白虹新聞」の日付が9月4日だったので
事件は9/3と思い込んでいたら、
新聞は夕刊であることに、さっき気付きました…。
つまり事件は9/4に起きたことに…。
ということは
このお話しのラストシーンは、
9/3の朝でした〜。
というワケで9/2から9/3に訂正しました…。
日付こだわるクセして、つ、ツメが甘かった…。
2012.11.30.

04-06 Falcon Talk (side Ryo)

第4部 Report

奥多摩翌日の夕方から夜


(6)Falcon Talk (side Ryo) ********************************************************2452文字くらい



もうゴールデンタイムが終わろうとする頃アパートに着く。

忘れずバケツセットも回収。

階段を登りにくそうにしている香は、

俺が口を出す前に、先手を打ちやがった。

「ひ、一人で上がれるから!き、気にしないで!」

まるで顔の色素にリコピンでも含まれてんじゃねぇーかと思う程に赤くなり、

慌てて口走るその内容に、苦笑するも、

たぶん、こいつは小さいころから甘えることを抑えてきたタイプだろうなぁと、

その生い立ちに思いを馳せる。

まぁ、俺も人のこと言えるような来歴ではないが。



「んじゃ、後ろからサポートしちゃおっかなー。」

おちゃらけモードで、

香のタイトスカートの裾に視線が平行になるまで階段を後退し、

スキあらばと首を傾げれば、またミニハンマーが飛んできた。

「ぐへっ!」

一線を越えた後も、

こうしてハンマーを出してくれることに半ば安堵する。



玄関を開けると、また俺らの日常の空間に戻れる。

「あ、あたし、すぐ食事の準備するから!」

「ああ。」

キッチンに直行する香を見送り、俺はバケツセットを脱衣所の前に置いて、

リビングへ向かう。

出発前に香が取り込んだ洗濯物がソファーに積んであるのが目に入った。

まずは一服しようかと、タバコを探す手がポケットに入ったが、

煙の匂いがついちゃぁ、また香がおかんむりになるな。

喫煙をやめ、ソファーに長辺に腰を下ろしかけた。

すると、まだ座るなと言うかのように電話が鳴った。



「なんだよっ、このゼツミョーなタイミングはぁ。」

相手はわかりきっていたので、子機を取ると、文句を言ってやった。



「おいこら、タコ。こっちは着いたばかりでまだ座ってもねぇーんだぞ。」

『だったら早く座れ。』

「手短にたのまぁ。」

ソファーに短辺に腰掛ける。

『明日の午後、現場の下見だ。』

「場所は?」

『大井埠頭だ。』

「近いな。」

『コンテナをいくつか海に沈めて、サツに見つけさせる。』

「ふーん、ヤクか偽札か?」

『俺らの商売道具だな。』

「なるほどね。それ貰っちゃだめなのか?」

『あまり質のいいものはない。あきらめろ。』

つまり、武器・銃火器の密輸現場の差し押さえという訳やね。

『ブツの出港は3日後だ。』

「え〜、撩ちゃんそんなに待てなぁ〜い。」

『気色の悪い声を出すなっ!』

「んじゃ、明日教授んちで飯食った後、見に行きますかね。」

『また、その時説明する。』

ん?やっぱ声に緊張感があるな?手強い相手なのか?

『撩…。』

「なんだ。」

『い、いや何でもない!じゃ切るぞ!』

ゴトッ、ガチャガチャ!ブツ!ツー、ツー、ツー。

「な、なんだよ。あいつ受話器落としやがって。」



しっかし、新婚早々、花嫁は俺らのせいでケガをして、

ハネムーンもなしで、教授宅に入院。

新郎はさっそく裏の仕事に振り回され、

新婦と一緒にゆっくりと過ごせないなんざ、

これが俺らのいる裏社会の宿命ってか。



「はぁ〜あ、あ〜。」

力一杯伸びをする。ぽきぽきと関節が鳴る。

いつ死ぬか分からない、いつ大切な者を失うか分からない。

まぁ、普通に生活していても、

交通事故に、病気に、自然災害、各種犯罪と、

いつ命の危機に遭遇するか分からないというのは、

誰も同じかもしれないが、

俺らのいる環境は、

特に犯罪にからむ危険率が際立って高いことは、

お互いとうに十分認識している事だ。



いつ失われるか分からないからこそ、

この「普通の日常」の有り難さもひとしお強く感じるところだが、

その日常に香がいることが、絶対条件か。

そんなこと、随分前から分かっていたのに、

自分で認め受け入れるまでに、随分と遠回りしたもんだ。

ふっと軽く笑う。



「シャワーでも浴びてくっか。」

畳む手間を一つ減らすために、

そばの洗濯物からタオルを1枚引っ張り出し、

のっそりと立ち上がって、首をコキコキ鳴らしながらリビングを出た。

廊下には、かすかに揚げ物の香りが漂う。

キッチンの戸を開けて、声をかける。

「香ぃ〜、俺、先に風呂入ってくるわ。」

「あ!うん!上がる頃には出来てると思うから!」

背中を見せたまま、首だけ動かして振り返る香。

作業の手は止めないまま、また向き直る。



エプロンをつけ、シンクに立つ姿、いつも見慣れているはずなのに、

さっき悶々と考えていたことのせいか、

後ろから抱きしめたくなる衝動にかられた。

あー、いかんいかん。

今そーんなことしたら、はずみで揚げ物の鍋がひっくり返って大惨事だ。

勝手な妄想と、湧いて出てくる邪心を押し込め、

キッチンの戸を閉めた。



「あ、着替えがねぇーや。」

脱衣所に向かおうとして、着替えを取りに自室へ向かった。

部屋の扉を開けたとたんに、今朝の情景がフラッシュバックする。

取り替えられたシーツに、畳まれた掛け布団。

そうなんだよなぁ、今朝のことだったんだよなぁ。



ベッドの端に腰を下ろした。

スプリングがぎしりと音を立てる。

触れることに、怯え逃げていたことが嘘のようだ。

ふっと、笑みがこぼれたのが自分でも分かった。

新しいシーツとピローケースに目をやると、

ぼんやりと肩を露(あらわ)にした香が横になっている姿が浮かび上がる。

水を飲みに下へ降りる前に見た網膜の記憶。

手を伸ばして、指が触れた場所は枕だった。

「あー、いかん。」

なんだか色々と相当ヤバい気がする。

ぷるぷると頭を振る。



「さて、着替えはっと。」

気分を切り替え、よっと立ち上がり、

インナーセットを手に持ち、浴室へ向かった。



シャワーを浴びながら、海坊主の言っていた情報を思い返してみる。

大井埠頭は最近、怪しい動きが多く、サツも警戒していると聞いた。

コンテナを動かすということは、

リーチスタッカーか、コンテナキャリアーを動かさなければならない。

どっちかが操作して、どっちかが援護か。

相手によっては銃撃戦もなきにしもあらずか…。

3日後、ということは、

明日下見、明後日下準備、当日実行、だな。

まぁ、さっさと終わらせて、

タコ坊主を美樹ちゃんの元へ返してやらんとな。

結局は、香が教授宅に通う期間を少しでも短くしたいという、

自分の我のためでもあるがな…。



頭と体をさっさと洗って、熱いシャワーでざっと流し、浴室を出た。

カオリンと一緒に風呂入れるのは、一体いつになるかねぇ〜。

仕事モードの思考から、愛しきパートナーへ想いが切り替わると、

3分しかもたないまじめ顔から、ゆるんだスケベ顔へ変身。

「さて、飯は出来たかなー。」

スウエット上下をまとい、キッチンに向かった。


**************************************
(7)へつづく。





すいません、大井埠頭行ったことないです。

04-05 Go Home (side Ryo)

第4部 Report

奥多摩翌日の夕方から夜


(5)Go Home (side Ryo) *********************************************************836文字くらい



俺は、クーパーに乗り込みながら、大きな溜め息をつく。

相変わらず、いつも通りの動きができない香を横目でちらと見ると、

バッグから手帳を取り出して、メモを書いていた。

「さっき、教授から買い物を頼まれたの。

明日のお昼ごはん、こっちでみんなで食べない?」

だぁあー、みんなと会ってたら、からかわれるに決まってんだろうに。



「…おまぁは、いいのか?」

エンジンをかけ家路に向かう。

「何が?」

「美樹ちゃんにも、調子悪そうなのバレてるしよぉ。」

「だから体調は大丈夫って言ってるじゃない。

今日、日中ゆっくり休ませてもらったから、平気よ。」

香は一呼吸置いた。

「……明日、買い物一緒に来てもらえる?」

ああ、また上目使いの首かしげだ。

そんな顔でお願いされたら断れねぇーだろうが。

動揺して、返事をしそこなっていたら香が暗い口調で言い出した。

「……撩、…怒ってる?」



やばい、やばい。

またこいつ勘違いで自己嫌悪モードになろうとしている。

「いーや、怒っちゃいないさ。おまぁらしいなって思ってな。」

左手を伸ばして、猫毛をくしゃくしゃにしてみる。

「あー!もう!ぐちゃぐちゃになるじゃない!」

「いいぜ、明日買い物して、教授んちで飯食って、また帰ればいいんだろ?」

ぱぁっと香の顔が明るくなる。

くそっ…、眩しい。

思わず目が細くなった。



「まぁ、かずえちゃんやタコが忙しいようだから、

それまではピンチヒッターとしていいんでない?」

「りょ…、ありがと、

賛成してなさそうだったから、怒らせちゃったかと思って。」

「いや、まっさか、連中があんなに慌ただしい予定を抱えているとは、

俺も知らんかったからなぁ。」

これは本当に想定外だった。

「まぁ、流れで俺らが通うのも、当然っちゃあ当然だわな。」

「美樹さん、早く傷が治るといいけど。」

「そだな。

こうなったら、さっさと帰って飯済ませて、明日の準備をするっぺ。」

「うん。」

エンジンの回転数があがる。

何だか、こっちも忙しくなりそうだ。


**********************************
(6)へつづく。





ちょいと短いですが、帰路の会話を入れてみました。
きっと撩はやっとケジメをつけた香と
ゆっくりのんびり過ごしたかったんじゃないかと思いますが、
それでもスキがあったらいちゃいちゃさせる予定でございます〜。

04-04 Professor's Residence (side Ryo)

第4部 Report

奥多摩翌日の夕方から夜


(4)Professor’s Residence (side Ryo) ********************************************4546文字くらい



閑静な住宅街へと入ると、間もなく敷地の広い教授宅へ到着。

呼び鈴を鳴らせば、すぐに返事が来た。

『おお、撩か。入んなさい。』

当然、監視カメラで姿を確認したのであろう。

鍵が開き、俺たちは中に進んだ。



「教授、美樹さんはどうですか?」

出迎えてくれた教授は、挨拶もなしに香の第一声がそれであることを、

さも当然という表情で答えた。

「ほほ、心配いらん。彼女は奥の部屋じゃ。」

促され3人で廊下を進んでいく。



「ところで撩よ、おまえさんたちの式はいつじゃ?」

ガタタンッ!

振り返った教授は、躓(つまず)き転倒した俺たちを、細い目で眺めた。

「きょ、教授っ!なんすかっ!突然にっ!」

起き上がりながら迫ってみれば、

からからと笑いながらこう言われた。

「隠すでない、隠すでない。

お前さんもようやく覚悟を決めたようじゃし、

ここはファルコンを見習った方が得策だと思うのじゃがの。」

「なーんで、俺がタコ坊主を見習わなきゃならんのですかっ!」



香も、沸騰した顔でおずおずと立ち上がろうとしているので、

とりあえず手を貸してやった。

教授はそのままスタスタと先に進んでいく。

「ったく…。おい、大丈夫か?」

「ぅ、うん。びっくりしただけ…。でもなんで?」

教授の少し後ろを一緒に歩きながら、小声で会話する。

「き、昨日から、みんなそうなの、よ、ね…。」

「なにが?」

かおりは持ってきた花をきゅっと抱いて、更に赤くなる。

声はますます小さくなって、

「…な、なにも、言ってないのに、

…みんな、お、お見通しって感じで…。」



まぁ、俺たちのまどろっこしい関係にやっとケリをつけたことが、

周囲にバレるのは時間の問題であって、

しばらくは、からかわれること必至だろうが、

悪友たちの勘ぐりを含む質問攻撃に香がどこまで耐えられることやら。

いや、たぶんできねぇだろうな。

昨日は、人の心理を読むことも仕事であるような家業の連中が集まっていたんだ。

香を救出してから教会に戻った後の、

些細な行動の変化や表情で、

お節介な仲間は、色々と勝手に読み取ったらしい。



「んまぁ、気にすんな。いつも通りでいきゃあいいんだよ。」

香の頭をくしゃりと撫でて、先に進んだ。

「ぅぅー。」

香は赤面しながら唸っている。

「ここじゃよ。」

教授は、ノックをして奥の部屋に入る。

そこは、以前海原戦の後に海坊主が使っていた部屋だ。

「美樹君、食事はすんだかの?」

「いらっしゃい、冴羽さん、香さん。」

気配ですでに察知していたのか、俺らが入室する前に声をかけられた。

「今、食べ終わったところですわ。ごちそうさまでした。」

ニコニコしながら教授も答える。

「早く治るように、

かずえ君もタンパク質を多めにしておると言っておったぞい。」

中に入ると、

黒のランニングシャツを着た海坊主も一緒に食事をすませていた。

昨日からここに泊まり込んでいたらしい。



「美樹さん、体起こして大丈夫?」

「平気よ。痛み止めが効いているから、ケガしてるって忘れそうなくらい。」

「お花と果物持ってきたの。」

自分が持っていた花束をベッドサイドのチェストにそっと置いた。

「あとで、生けさせて。」

「ふふっ、お願いするわ。」

俺もその傍に果物籠を置くことにした。



美樹ちゃんは、食べ終わったトレーを片手でベッドサイドに置こうとしたが、

香がすぐに受け取った。

「ありがと、香さん。」

「ううん、海坊主さんのも一緒にこっちに置いておきましょうか?」

香とベッドを挟んで反対側にいたタコにも声をかける。

「ああ、頼む。」

「はい。」

と、扉近くののテーブルに2つのトレーをそっと置いた。



「よかった、昨日より断然顔色がいいから、

いつもの美樹さんに会えてちょっと安心したわ。」

「え?そぉ?」

右手を動かさないように、三角巾で吊り下げられている肩以外は、

確かにいつもの美樹ちゃんだ。

「だって、教会では青白かったから、本当に心配だったもの。」

「もう、香さんも心配性なんだから。この分だと、早く治りそうな気分よ。」

これは美樹ちゃんも、口調から本気でそう感じているようだ。



そこへ、かずえちゃんが入ってきた。

「あら、冴羽さん、香さんいらっしゃい!」

「お邪魔してるよん。」

俺はポケットに手を突っ込んだままウインクしながら答える。

「食器を下げに来たの。私ちょっと出かけますんで、

教授、あとをお願いしますね。」

トレーを持ったかずえちゃんは、慌ただしく部屋を出て行った。



「教授、ミックは来てますか?」

俺は元相棒の所在を聞いてみた。

先ほどから、この屋敷内に奴の気配はない。

「ミックはのう、この2、3日で片付けてしまわなければならない原稿が

あるとかいっておってのう、

昨日はこっちについたらすぐに帰ったんじゃよ。」

「確か、かずえちゃんも実験がどうのと、教会で言っていたような。」

「恩師との共同実験のデータ解析で、今から大学に行くらしいのう。」

なんだ、ミックもかずえ君も結構忙しいんじゃないか…。



「ファルコン、お前さんも、確か緊急の仕事が舞い込んでいるはずじゃの…。」

「はぁ?結婚式直後から仕事かよ?」

初めて聞いた事実に正直驚く。

「ファルコン、私のことは気にしないで、

お店はいつでも休みがとれるけど、

あなたへの依頼は、先送りできないものでしょ?」

美樹ちゃんが続ける。

「ケガの方はもう全然平気だから、付き添いは大丈夫よ。」



ここで、香がそれぞれの状況を読んで、会話に入ってきた。

「ねぇ、美樹さん、私がここに通うわ。」

「か、香?」

突然の提案に、

この展開はあまり自分がいいと思わない方向になりそうな予感がよぎる。



「私たちに、そうそう依頼は入りそうにないし、かずえさんも、忙しそうでしょ?」

「香さん…。」

「海坊主さんも、ここは私に任せてお仕事に専念して下さい。」

「ちょ、ちょっと待て、香。」

俺は、今はできるだけ香を安静にさせときたいと思っているのに、

その真逆をしようとしているこの提案は受け入れ難い。



「撩、元はと言えば、私たちが原因なのよ。美樹さんは謝らないでって言ってくれたけど、

この状況で何もしない訳にはいかないわ。」

「香さん、……冴羽さんは、すごぉーくいやそうな顔してるわよ?」

ぎくっとする。

俺としたことが表情に不快感を丸出しにしていたとはっ!

「い、いやだなぁ、美樹ちゃん。俺も香の意見にもちろん賛成さ!」

はぁ、大ウソだ。

教授の視線を感じて、ちらと見ると、肩で笑っていやがるっ。くそっ!



タコがゆっくり立ち上がった。

「香、本当にいいのか?」

「もちろんよ、こんなことじゃ、

助けてもらった恩返しにもならないと思うけど…。」

「そうか…、だが伝言板に依頼が書かれたら、そっちに集中してくれ。」

香は、その言葉を聞いて微笑んだ。

海坊主は、香の提案を飲むことにしたようだ。

はぁ〜、まいったなぁ。



「そこの花瓶使っていいかしら。」

と香は、部屋の隅にあった陶磁器を手に取り、花束を入れて戸に向かった。

「じゃあ、話しはこれで決まりね。あたしお花生けてくるから。」

と振り返りながら出て行った。

さりげなく教授も後に続く。



俺も部屋を出るか迷ったが、タコに聞くことができた。

「おい、海坊主、今回の仕事はやっかいなもんなのか?」

たぶん、簡単な内容じゃなさそうだな。

「いや、たいしたことはない。」

口調で分かるっつーのに。

「冴羽さん、ファルコンに早く戻ってきて欲しいんでしょ。」

美樹ちゃんが突然ふってきた。

「はぁ?」

「香さんがここで色々することが、とってもイヤだって顔に書いてあるわ。」

あーもー、昨日から美樹ちゃんには、つっこまれっぱなしだ。

「な、なに言ってんのっ!美樹ちゃーん!

あいつ、自分から一度言い出したらなかなか聞かないだろ?」

ちらっとタコの方を見る。

「あー、海ちゃん、詳しく話せよ。手伝うぜ。」

海坊主の困惑する空気が伝わってくる。

「…撩。」

「タコのためじゃねぇさ、美樹ちゃんのためだ。」

腕を組んでそっぽを向きながら早口で言う俺に、くすりと漏れる声が聞こえた。

「冴羽さん、素直じゃないわねー。」



そこへ香と教授が戻ってきた。

香はちょっとギクシャクしている。

まーた教授が余計なことをくっちゃべったんじゃないだろうなぁ。

「お、おまたせー。ここに置いておくわね。」

「ありがとう、香さん。きれいだわ。」

「美樹さん、明日昼頃また来るわ。

朝食はもうかずえさんが用意してるって、教授から聞いたから。」

「でも、香さん無理はしないで。

なんだかいつもより体が重そうに見えるわ。」

俺ら二人ともこの言葉にドキッとする。

たのむ、美樹ちゃんそれ以上は突っ込まないでくれ…。



「たぶん香さんも昨日の疲れが残ってるのよ。」

「あ、あはは、ち、違うのよっ。

あ、あの、ゆっくり休みすぎちゃって……。ね、ね、寝過ぎたくらい、なのよっ。

だ、だ、だから心配しないでっ。」

必要以上に不審な身振り手振り、赤い顔で、かみながら説明する香。

はぁ、余計怪しまれるだろうが…。

ため息をこぼす俺。

教授も、ニヤニヤしている。



「香、そろそろ行くか。」

これ以上、香にしゃべらせると墓穴が待っていること間違いなし。

ここからの脱出を図ることにする。

「あ、う、うん。じゃ、ま、また明日。」

朱に染まったまま、まだどもる香。

「おっと、海ちゃん、あとでウチに電話くれや。」

タコに視線を送り仕事の内容を教えるよう合図をする。

「ああ。」

「じゃあな。」

「教授、また明日来ます。」

「ほほ、待っておるぞ。」

香は教授に会釈して、部屋の外に出た。



戸を閉め切る直前に、美樹の大きな声が追いかけてきた。

「冴羽さん!香さんに無理させちゃだめよ!」

バタン!

「っが!」

指を挟む。

くっそぉー、痛てぇ。

「りょ、撩!大丈夫?」

「あー、手元が狂った。」

美樹ちゃん、なんにでも取れるそのセリフは勘弁してくれ…。

「さ、帰ろーぜ。」

「うん。」

明日以降の予定は海坊主の電話の内容次第と、

教授宅の門を出た。



。。。。。。。。。。。。。。



2人が出て行った後、

美樹が休む部屋に残った3人はおのずと顔を見合わせた。

「香さん、本当に分かりやすいわね。」

「あぁ、撩も戸惑い具合が面白いくらいだ。」

「ふぉっほっほっ、あまりからかうでないぞ。」

それぞれが、彼らの姿を思い返す。



「…でも、本当によかったわ。」

美樹は、あの二人がおそらく長らく越えるに越えられなかった一線を

ようやく越えたことを感じていた。

同じ裏世界に身を置き、一度ファルコンに別れを告げられた身、

お互いが相当の決心を携え、壁を壊したことが痛い程伝わってくる。

妹のような大事な人だからこそ、

家族のように心配していた懸案に、やっと明るい光を見て、

心からほっとしていた。



ファルコンが小さく口を動かした。

「あいつは自分じゃ気付いていないかもしれないが、

撩の奴、体の匂いが微妙に違っていた。」

「え?それって?」

「ほほ、香君とくっついている時間が長かったんじゃろう。」

自分で言ったくせに、ファルコンは茹で蛸になっていた。



「じゃあ、私たちも匂いが変わるくらい仲良くしましょ!」

流し目でファルコンを見つめる美樹。

「っな!な、なにを言っているんだ美樹!

ははははし、た、ないこと、をっ!」

耳から蒸気を出すファルコンを細めで見ながら教授は扉に向かった。

「ふぉほほ、お邪魔虫は退散することにするかのう。」

と、パタンと音を立てて、その場を去った。


**************************************************
(5)につづく。




奥多摩で美樹が狙撃された後、
流れとして当然教授宅で療養ということは、
疑いの余地がないところ。
で、当方、この入院中に香ちゃんに美樹のお世話係りをさせるシチュを
どぉーしても作りたくて、
海ちゃんには「仕事」を与えてやることに。
同時にかずえもミックも忙しくさせてしまえば、
撩と香がここに通わざるを得ないでしょ〜と、
にやつきながらキャラを動かしてしまいました。
負傷した美樹と香がその後しばらく会えない、会わないというのは、
あまり考えられなくて、
海ちゃん、かずえ、ミックが忙しくなくても、
香ちゃんは、毎日、お見舞いに行っていたかもしれないし、
だったら、世話させちゃえ!と
続きが勝手に出来上がっちゃいました。
翌日から、通いが始まりま〜す。




04-03 University Hospital (side Ryo)

第4部 Report

奥多摩翌日の夕方から夜


(3)University Hospital (Ryo side) ************************************************1949文字くらい




「ほれ。」

助手席のドアを開ける。

「あ、ありがと。……で、でも、

まだ、なんかすっごい違和感あるなぁ。撩に開けてもらうなんて。」

俺は、後ろのトランクにバケツをしまって、ハッチをバンと閉めた。

まぁ、そりゃそうだな。

エスコートされることそのものに縁遠かったのだから、

しかたないわな。



「たまにはって言ったろ。」

運転席に乗り込みながら言ってみる。

赤い顔をして困惑した表情を一瞬見せたものの、

こめかみを指で押さえながら、

「……うーん。」

とまだ納得できていない。

これ以上、突っ込むことは止めにしておいて、

次の予定を提案した。

「教授んちに行ってみっか。」

まだ夕食までには時間がある。

昨日、教会で別れてから、その後の美樹ちゃんの様子も気になるし、

顔だけ出しておくかと、進行方向を決めた。



「うん、みんないるかしら?」

エンジンをかけ、外国人墓地をあとにする。

「うーん、式の時、かずえちゃん、

何かの実験をさしおいて奥多摩に来たって言ってたからなぁ。」

「もしかしたら、結構忙しいかも?」

「まぁ、とにかく行ってみっぺ。」



教授とかずえちゃんのサポートで、これまでも何度も世話になっているが、

医療設備が整っているとは言え、

全治数週間の患者をつきっきりで見るのは、

研究業で多忙なかずえ君には、大変かもしれない。

海原戦の後、俺らが大勢で押しかけた時は、

美樹ちゃんも動けたし、かずえちゃんも丁度農閑期だったらしいから、

さほど大変さはなかったようだが。



「手ぶらでいいのかな?」

突然の予定で、仮にもお見舞いとも言うべき動きに、

花も果物も何もない。

「どっか寄ってくか?」

「うん、そのほうがいいかも。」

再び買い物に寄る場所を探すことに。

「じゃあ…、この先に大学病院があるから、

そこの売店なら果物もお菓子もお見舞い用に売っているはずだわ。」

香は、現在地と教授宅との間で、

立ち寄れそうな店を頭の中ですぐに思い描けたようだ。

「了解。」



ちょっとスピードを速めて、経由地へと急ぎながら、

香の思考の回転の良さに感心する。

この情報は、自分だけでは思いつかなかった。

「おまぁ、あの病院行ったことあんのか?」

「前にね、高校の時の友達が入院して、お見舞いに行ったことがあるの。」

「ふーん。」

その友達が男か女か、即気になった俺。

声色に出ちまったらしい。

「……女友達よ。」

「へ?」

自分の思っていたことがバレたような返答に、

思わず、すっとんきょうな声がでる。

「入院したのは仲のよかった女の子。」

「……かわいこちゃんか?」

「柔道部の部長だったわ。」

「……な、なるほど。」

んじゃ、ケガで入院ってとこか。



“ あんたじゃないんだから余計な心配はしなくてもいいの ”



幻聴が聞こえたのは、香の遠回しのメッセージか。

心の靄が取れた。

香の一言一言に、こうも波打つ己の心に苦笑する。



病院のロータリーに入ると、端に寄せ駐車した。

「すぐ戻ってくるから。」

香はそう言い残して、目的地に向かった。



香の説明によると、

そこは入院患者用の品々に加えて、職員用の飲食関係も充実し、

夜勤や付き添い人のために、営業時間もやや長い。

目的のモノちゃんと選べるようになっていたようだ。

あまりゆっくり選択する時間もないと、手近な花と果物のセットを

手早く購入してきたという次第。



「っはぁ、お、おまたせ…。」

小走りでクーパーに戻ってきた香は、やや息切れ。

「ったく、調子悪い時に無理すんじゃねぇって。」

俺は、車から出て花と果物籠を受け取り、後部座席へ置いた。

香は、助手席に座りながら、

「調子悪くないってば。」

と、俺の言葉を否定するも、やっぱりどこか動き辛いのは否めない。

「んじゃ、さっさと行くぞ。」

クーパーをロータリーから脱出させる。

必要最低限で寄り道が終わり、教授宅へ進路を走る。



「ねぇ、撩。」

「あん?」

「後ろの花束、ケガしている人に相応しくないものとか混じってないよね。」

香がそこまで気にしていることに、やや驚く。

花一つでも、相手を不快にさせる要素がないようにしたい配慮に、

他人を気遣いすぎる性格をまた垣間見る。



「あー、ちょっと待ってろ。」

と、ちらと後部座席を振り返り種類を確認する。

花言葉には、「絶望」とか「死」とかの意味を持たされたモノもあるので、

確かにケガをしている入院患者には、間違いでも贈ってはならないだろう。

この花束は……、ふん、問題なさそうだな。

「大丈夫だ、全く問題なし。」

「ほんとに?よかった。」

「撩ちゃんのメモリーに間違いはなし!」

ぷっと香が笑う。

「ちょっと急ぐぞ。」

そう、俺はおまぁが笑ってる顔を見ていたいんだよ。

思わず、目にしたその微笑みに、余裕がなくなるのを悟られないよう、

ギアを変え、スピードをあげた。


**********************
(4)につづく。





香ちゃんが買ったお花は、
みなさんのご想像にお任せしまーす。
しっかし、2度も花の買い物をさせるのも、
読み手の方も慌ただしく感じちゃうので、
省略しようか迷いましたが、
手ぶらでは行けないと強く思う香の思いを優先しちゃいました。
でも、教授の屋敷ってどのへんなんだろ?


【御礼!】
ぬぉ!9000Hitを越えてしまっとるっ!
こんな妄想の垂れ流しにお付き合い頂き本当に有り難い限りです〜。
いったい、いつ奥多摩の翌日が終わるんだぁ〜という
超だらだらモードですが、頑張って3週間分続けたいと思いますぅ〜。
取り急ぎ感謝!!!
2012.06.19.23:00




04-02 Graveyard (side Ryo)

第4部 Report

奥多摩翌日の夕方から夜


(2)Graveyard (side Ryo) ********************************************************2813文字くらい



日没寸前に、目的地に到着。

「早く掃除しないと暗くなっちゃう!」

香は、俺が取り出したバケツセットと花束を受け取って、

先に歩き出した。

長い影が伸びる。

ったく、鍵閉める時間も待てねぇってか。

いつもより動きがスローな香に追いつくのは至極簡単で、

またバケツを取り返す。

「あっ、ちょっと!これくらい持てるってば。」

「掃除する時間がなくなりそうなんだろ?行くぞ。」

そう言って、あえて目を合わさず歩みを進める。



久しぶりに来る槇村の墓の前。

「アニキ、ちょっと待ててね。」

香はかがんで、ペットボトルの水と小さな柄付きブラシを使って、

手短に墓石についたコケや汚れを、ゴシゴシと落とし、

ある程度見栄えも良くなったところで、ざっと残りの水をかけ、

雑巾で拭い、湿り気をとった。

俺は少し後方からその様子を見守っていた。

ここは、手伝うより香と槇村の時間として、外野に徹する。



掃除道具をミニバケツに収めると、

香は、脇に置いてあった花を、そっと正面に供え、墓石につと手をつく。

「……アニキ、……ちょっとは、きれいになったかな。」

沈む直前の夕日が香を照らし、その髪が逆光で金色に輝く。

右足を膝まづいて静かに目を閉じ、槇村の墓に触れる姿は、まるで聖母。

一瞬、我を忘れて見惚れていたが、

その長い影がいつの間にか消え、日没を知った。



らしくもなく、

そのまま香が消えてしまいそうな不安が足もとから湧いてきて、

気付いたらそばに歩み寄っていた。

俺の隣で、まだ亡き兄との対話をしているのか、

香は閉じた目をそのままに、右手は墓石、左手は膝に添えていた。



槇村…。



俺は、槇村の名前が刻み込まれている場所へ視線を移した。



どんなに詫びても許してもらえないかもしれない。

お前が望んでいる幸せを、

香に与えることはできないかもしれない。

それでも…、それでも…、

俺たちが選び取った道を見守ってくれるか?



「……撩。」



しばらく黙っていた香がふいに俺の名を呼んだ。

「……一緒に来てくれて、ありがとね。」

薄く開いた目は槇村の名前に向けられていた。

「……1人でも、…ここに来るつもりだったから、

撩から誘ってくれて、…嬉しかった。」

俺は、ふっ口角を上げ、と視線を香から墓石に移した。



「シスコンのアイツのことだ。

……黙ってたら、枕元にやってきそうでな。」

ぷっと香は笑う。

「…さっきの花屋さんでね、花言葉でこれを選んでもらったの。」

きれいにラッピングされている花束には、

ルピナスとワレモコウとカスミソウ。

香が今の気持ちを、この花にメッセージとして託したことは、

種類を確認した時から薄々感じていた。

「……撩は無駄に物知りだから、説明はいらないわよね。」

ちょっと恥ずかしそうに赤らむ香。

まぁ、口説き文句用や暗号用に、有名どころの花言葉は

一通りインプットされてはいるが、こんなふうに使われるとはなぁ。



ルピナスは「私は幸せです」。

カスミソウとワレモコウは「感謝」。

花屋の店員が加えたかったクチナシもルピナスと同じ花言葉を持つ。

お前は、こんな俺のそばで本当に幸せなのか…。



「えー、カオリン教えてくんないの?」

込み上がった照れくささをごまかすために、不真面目モードで返事をしてみる。

「もうっ、分かってるくせにっ。」

しゃがんだまま、ほんのり朱に染まっている頬を見せながら、

上目使いで、下から俺を見上げる表情に、

おまぁこそ、今の顔にどれだけ悩殺力があるか分かってねぇだろ。

と、思わず口から出そうになった。



そんな俺の心の揺れも気付かないまま、

香はゆっくりと立ち上がった。

「……話しはもう終わったのか?」

「うん、ちゃぁんと報告しました。」

周辺は先ほどよりも更に薄暗くなる。

「あーんなこととか、こぉーんなこととかぁ?」

わざと意地悪口調で聞き返してみれば、

「もうっ!そんなスケベ顔で言わないでよっ!」

ミニハンマーがスコーンと側頭部に軽く当たる。

「って!」



「……撩はもういいの?」

「男とは長話しするもんじゃねぇーの。」

こんなやりとりをしながらも、

つい、もしも、が脳裏を渦巻く。




もし俺が日本に来なかったら。

もし槇村と出会わなかったら。

もし槇村が死なずにすんでいたら。

もし香に出会わなかったら。



いくら考えても無意味なことだとは思いながらも、

決して交わることのなかった人生のラインが重なってしまった配剤に、

「たられば」が頭から離れることはない。

だが、もはや香がいない生き方などあり得ない。




周りの光度が落ちて来て、周辺がやや見えにくくなる。

その薄闇に香が吸い込まれてしまわないように、

か細い腕をとって、自分の腕の中にしまい込む。



「…りょ?」

「槇ちゃんの前で、誓いのキスでもしとく?」

「っば、ばかっ、何言ってんのよっ!」

こんな俺が、神になんて誓える訳がない。

これに関しては槇村以外、誓う相手はいない。



腕の中で慌て身じろぐ香が可愛くて、くすりと笑う。

「まぁ、ここで、んなことしたらアイツも困るだろうから、こっちだけな。」

俺は、香の左手をそっと取って、その白く細く形のいい薬指を口元まで運び、

第3関節のところに、ちゅうっと吸い付いた。

触れた部分がほんのり赤く残る。



ボンと沸騰する香は、みるみるうちに体温が上がっていく。

その場所への接吻が何を意味するか、

自分でもこの行為に小さく驚く。

マリッジリングなんて贈れるような柄じゃないがな…。



すると、柔らかい風が俺たちの脇を一巡するように流れていった。

さっきまでほぼ無風だったのに、

このタイミングで、この心地のいい風は…。

ゆっくりお互いの視線を合わせる。

「……今の、……アニキか、な?」

「かもな。」

二人して、薄暗くなった墓地でくくっと笑う。



腕の中にあるそのまろやかな体を、

さらにきゅっと引き寄せ、自分に密着させた。

柔らかい髪に頬を寄せ、暫しその体温と心拍に浸る。

照れている香がその己の心境を体で分かりやすく伝えてくる。

ここは屋外で公共の場であることを忘れそうになるが、

他に人の気配がないのをいいことに、

薄暗くなり始めた墓地で抱き心地の良さを堪能する。



遠くで、かすかにサイレンの音が聞こえる。

俺はゆっくり目を開け、香を見下ろした。

「さて、動くか。

夜の墓地にいつまでもいると、会いたくないもんが出てくるぞ。」

「い、いやなこと言わないでよっ。」

「そっか、カオリンまだこの手の話し、苦手なんだっけ?」

「は、早く戻ろっ!」

すでに、赤い顔から青い顔になった香は、まじめに怖がり始めた。

コロコロ変わる表情が、香の飽きない魅力の一つだろう。

こんなこと、間違っても直接言えたもんじゃないが…。



「じゃ、いきますかね。」

俺は、左手でバケツを持ち上げ、右手は香の肩を抱き、先を促した。

香は、ちょっと赤くなりながら、

ちらっと後ろを振り返って、夕闇が濃くなった背景を見つめた。

「アニキ、……またね。」



俺は、夜目が効くから問題ないが、

この日没から夜になる時間帯の独特な暗さは、

屋外で、最も物が見えにくい時間帯でもあり交通事故も多い。

いつものように動けない香は、まわりの見えにくさも手伝って、

足取りが無意識に慎重になっている。

まぁ、ミニまではすぐそばだからいいかと、思いつつ、

また抱き上げたくなる衝動を静かに抑えた。


*******************************
(3)へつづく。





冒頭で触れています通り、このあたりも
リョウカさんの場面をお借りしております。
一線を越えたあとの2人が、墓地に報告に行くシーンは、
各所で描かれておりまして、
どうしても、どっかで読み覚えのあるコマが出てきてしまいますが、
求めているモノの共通項の一つとしてお許し下さいませ〜(汗っ)。
さて、次はアパートに戻る前に、ちょっと寄り道です。


04-01 Flower Shop (side Ryo)

第4部 Report(全10回)

奥多摩翌日の夕方から夜


(1)Flower Shop (side Ryo)*******************************************************1210文字くらい



途中の幹線道路沿いにある花屋へ寄るため、

クーパーを車道脇に寄せてしばしの路駐。

「あたし行ってくるから、撩は待ってて。」

このような場所は、

どちらか車内に残っていないと何かとまずいので、

とりあえず言われた通りに待機。

「りょーかい。」



香は、一つ一つの動きがいつもよりも1.5倍ほど時間がかかっているようだ。

特に腰から下の動きがスムーズでないことは伺える。



ごまかしても分かるっつーのに…。



助手席から降りると目的地へ真っすぐと向かう香。

右肘を窓枠にかけ、助手席の窓越しに何気なくその後ろ姿を目で追う。



はぁ、俺も重症だな。



普段の生活の中で、香が花屋にいるところを、

こう近くで見られることはあまりなかった。

あっても、ナンパをタテマエに遠目からでしか伺えなかったシーンがそばにあることに、

どこかしら新鮮な感覚を呼ぶ。



そのせいか、店内で花に囲まれている香の姿が、そのまま額縁に縁取られ、

どこかの修道院か何かに飾られるような油絵の幻影が重なった。

槇村を思い浮かべながら、花を選ぶ香は、

そんな視線が送られているとは知らずに、

選択に迷っている模様。

店員の女性と相談中のようだ。



店の前を行き交う通行人の成人男性共が、

視界に入った香に気付いて、歩みを遅くする場面もちらほら。



じろじろ眺めてんじゃねぇーよ。



ちょっと苛つく自分に、どこまで惚れてんだか、と半ば呆れる。

レジで会計とラッピングを待つ香が俺の方を向いて、

手を合わせ、眉をハの字にし、ウインクで謝る。



遅くなってごめんという合図か。

あいつ分かってんのかねぇ、

その仕草が周りの雄共を喜ばせてるってことを。



ハンドルに腕を組んで寄りかかり、目だけで早くしろよと訴えてみる。

冗談抜きで、暗くなっちまうぞ。



花束を抱えた香が戻ってくる。

かさっと後部座席に花を横倒しに置き、自分も指定席に乗り込んだ。

「おまたせ。遅くなってごめんね。」

「んじゃ、出るぞ。」

右にウインカーを出して、再出発。

ちょっと離れただけなのに、イライラと心配。

戻ってきたとたんに感じる安心感。

まったく、どこまでヘタレなんだか…。



「わぁ、もう西の空が染まってる。」

「ちょっと急ぐか。」

かつて海坊主とマジな決闘をした場所であり、

香の実の姉のさゆりさんと初めて出会った場所でもある、

槇村の眠る外国人墓地を目指した。

車内に花束の醸し出す芳香がかすかに漂う。

ちらっと、ルームミラーでその存在を確認すると、

3種類ほどが形良く束ねてある。

香の後ろ姿しか見ていなかったので、

店員との会話は読み取れなかったが、

なんとなく選ぶのに時間がかかった訳が分かった気がした。



「後ろの花、店員さんの勧め?」

何気なく聞いてみる。

「うん、本当はクチナシを加えたいってお店の人言ってたけど、

季節が違うんだって。」

このくだりで、納得。

「ふーん。」

ここはまだ、気付かないふりをしておこうか。


***********************************
(2)へつづく。





という訳で第4部スタートです。
まずは槇ちゃんのお墓参り。
花言葉&誕生花は、言ったもん勝ち。
国ごとに、あるいは出所がよぉ分からんのも含めて、
一つの花に複数の花言葉が使われていますが、
CHでもAHでもアニメでも花の描写が折々にあるので、
こちらでも演出に使わせてもらっていま〜す。
しかし、AHの植物の使い方は、各論的には丁寧に描かれていますが、
ツッコミどころが多くてねぇ〜。
まぁ、グチはよそで吐こう。

03-10 Departure

第3部 Turning Point

奥多摩の翌日


(10)Departure ***********************************************************:*****2448文字くらい



「…ん?…あれ?」

「起きたか?」

パチと目が覚めた香は、深く眠っていたので、

気分はすっきりしているが、

現在地がすぐに分からなかった。



目の前には、ガラステーブル。

右頬の下に温かい枕、ではなく撩の膝。

がばっと起き上がる香は、リビングで休んでいたことを思い出した。

同時に、撩の左手が、視界の端から上がってきて、

自分の左前頭に触れた。

そのまま後ろにくいっと引き寄せられる。

気付いたら、撩の左半身を背もたれにするように片腕で抱き込まれてしまった。



「撩ちゃんの膝枕は超レアもんだぜ。寝心地よかったろ?」

「りょ…。」

また赤くなる香は、

自分が撩に膝枕をしてもらったことに遅れて気付く。

(りょ、撩の膝枕って、は、は、初めて…だ、よね。)

撩の言う通り、とても心地良く休息することができた。

「うん…。」

香は、照れながらそのまま撩に体重を預け、目を閉じた。

「…あたし、どれくらい寝てた?」

「3時間ジャスト。」

(睡眠単位ちょうど2回分だな。)

「すごくすっきりした。…でも、今日は寝てばっかり…。」

「おまぁ、動けそうか。」

香は体を起こしてみる。さっきより随分楽になった気がする。

腹部も少し違和感はあるが、痛みはさほど強くないようだ。

「うん、大丈夫そう。」

「…じゃあ、槇ちゃんとこ行くか?」

「うん!」

「俺、着替えてくるから、おまぁも準備ができたら玄関で待ってろ。」

立ち上がった撩は、香の頭をくしゃっと撫でて、

先に部屋を出た。



撩が触れた頭部を、香も自分で触ってみた。

本当に、よく撫でてくれるもんだわ、とまたほんのり赤くなる。

香は、日が傾き始めたベランダにゆっくり向かった。

昨日の奥多摩の結婚式の日と同じ好天。

自分たちも大きな節目を迎えたけど、陽は変わらず昇り沈む。

ただ同じ陽の光でも、心新たに目に映る気がして、

目尻が熱くなる。



「…さて、洗濯物取り込もうかな…。」

撩が干してくれた洗い物を回収し、ソファーの上に積む。

「短い時間だったけど、薄手のモノばかりだから一応乾いてるわね。」

香は感触を確かめた。

しかし、今からたたむ時間はなさそうだ。

カラの物干しだけ持ち、折り畳んで脱衣所に持って行った。

さっきよりも歩きやすくなっているが、まだ素早くは動けそうにない。

あっと思い出して、洗面所に置いてある雑巾と柄付きブラシを、

小さなバケツに入れ、空のペットボトルに水を注いだ。

それを、脱衣所前に置いて、自分の部屋に寄る。



ポーチの中身を確認して、ドレッサーの前にかがみ、

少し髪を整え、また淡いルージュをごく控え目に塗り直し、外出の準備を整えた。

ふと立ち止まり、写真立ての槇村に視線を送る。



「アニキ…。言ってたよね。

あいつと一緒に仕事ができて幸せだって。

……あたしも、同じだよ。」

薄く微笑む。

「今から、お墓掃除してくるからね。」

そう言い残して、香は部屋を出た。



玄関では、すでに撩が車のキーを指でくるくる回しながら

壁にもたれかかって待っていた。

「んぁ?それ何だぁ?」

香の持っているモノを指差す撩。

「アニキのお墓、少し掃除しようと思って。」

「ふーん。」

「ね、途中で花屋さんに寄ってもらえる?」

撩の横に並んだ香は、また無自覚無意識で、

必殺上目遣いの首かしげでお願い事をする。

(っだぁー、それは反則だって!襲っちまうぞっ!)

撩は、照れと焦りを隠しながら返事をした。

「おぅ。途中のあの店でいいな。」

「うん。」

「じゃ、出るか。」



玄関扉を開けようとしたが、香は、はっと息を吸った。

「撩!ごめん!上の部屋窓開けっ放しだわっ。閉めてくる!」

7階に行こうとする香の腕をくいっと握った。

「俺が閉めといたから大丈夫だって。」

(あ、そっか、撩着替えに自分の部屋に行ったんだよね。気付かない訳ないか…。)

ほっとした香は、自分の慌てぶりが恥ずかしくなった。

「ぁ、ぁりがと。」

小声でそう言って、靴を履こうとしたが、撩が腕を放さない。



「りょ…?」



つい香の細い華奢な腕をとってしまったのを、

すぐには離したくない気分になった撩。

滅多に付けない塗り直された薄い色のルージュで、

より艶やかになった美味しそうな唇もさっきから気になりっぱなし。



「外だと気軽にできねぇからな。」

「は?」

ふと周りが暗くなる。

きゅっと抱きしめられ、突然唇が降りてきた。

「んんんっ!」

香は慌てて目を閉じた。

パクパクと食べられてしまいそうな複雑な動きに、

腰が抜けてしまいそう、と香は一層赤くなる。

そしてまた、ちゅうーぽんっと離され、区切りの合図をもらった。

「んじゃ、行きますか。」

茹で蛸になってカチカチに固まる香の頭をくしゃりと撫でる。

(もう何回目か分かんねぇーっつうのに、わかっちゃいたが、こりゃ相当のウブだな。)

という自分も、触れたくて、愛おしくて、心の余裕がないのも事実。

(人のこと言えねーか。)

とそのまま、ギクシャクした香の肩を抱きながら玄関を出る。

昨日の夕方ここに戻ってきた時のことをふと思い出した香は、

さらに赤さを増し、恥ずかしくて、バケツを落としそうになった。



「階段降りるのゆっくりでいいからな。」

「え?」

撩は、バケツをひょいっと受け取る。

「それとも、またお姫様抱っこする?」

「!!!っ、いいいいいっ!自分で歩くっ!」

これ以上ないくらいの赤面で、ブンブンと顔を振る姿に、

苦笑する撩は、

香の少し前を、歩調を合わせ、一緒に駐車場まで降りていった。

鍵を回すと、撩は助手席を開ける。

「先に乗ってろ。」

と言いながら、後ろにまわり、リアハッチを開けバケツセットを入れた。

ガレージを開ける音が響く。



座席に座った香は、昨日の奥多摩からの帰りを思い出し、

あの時のこの席での会話が記憶をくすぐった。

バタンと音がして、撩が運転席に乗り込む。

「じゃ、行きますか。」

イグニッションキーを回し、口角を上げた撩が正面を向いたまま、

香に視線を送った。

照れたままの香は、目を合わせるのも恥ずかしく、

視線を逸(そ)らしつつ返事をする。

「ぅ、うん。」

聞き慣れたクーパーのエンジンの音を聞きながら、

2人はアパートを出発した。


***************************************************
第4部(1)へつづく





とにかくスキがあればちゅうちゅうモードのウチの撩ちゃん。
香ちゃんのお口がたらこ唇になりかねんぞ…。
次からは、お墓参り&教授宅へと場所が変わります。
相変わらずだらだらと長いですが、
奥多摩翌日の後半戦をご覧頂ければと思います〜。
え?そろそろ飽きてきた?
豆知識:「睡眠単位」とは一単位約90分とされ、
休息をとるのに脳を効率的に休ませる適切な長さと言われているとか。


【拍手御礼】
わーっ!6/13の1日だけで57パチパチも入っていましたっ!
ポチットして下さった皆様、
本当にありがとうございます!
2012.06.14.01:39
→半年分のレシートを家計簿に貼付けていたら、
 こんな時間に…。
 最近夜更かしし過ぎ…。


03-09 Sofa

第3部 Turning Point

奥多摩の翌日


(9)Sofa **************************************************************************1351文字くらい




「あのバカ、結局全部やりやがって…。」



キッチンに戻った撩は、きれいになったテーブルとシンクを見て苦笑した。

「っんとに、自分のことは後回しだな。」

炊飯器もセットしてあり、チャック付きポリ袋に入った冷凍のマアジが

バットの上で解凍を待っている。

とにかく、今は香に何もさせたくない撩は、

そばにいないと、まぁた何か始めそうだと、リビングに行くことにした。



チャッとドアを開けると、ソファーの角で顔の上半分だけ出して、

体育座りで毛布にくるまっている香が目に入った。

(なぁーんでまた、そんな寝苦しそうな格好で…。)

すーすーと静かな寝息が聞こえる。



撩は、足音を立てずに近付いて香の右隣りにギシリと腰を下ろすと、

そっと肩を抱き寄せた。

重力のまま香の体はゆっくり傾き、

撩に膝枕をしてもらうスタイルで、その身を横たえた。

撩は薄手の毛布をかけ直す。



布越しに感じる香の重さと体温に、ふっと表情が緩む。

左肘はソファーの背もたれにひっかけ、

右手でくしゃりと香の髪の毛に触れた。

小さな頭の形が伝わってくる。

茶色のクセっ毛が愛おしく、しばらく指でからませて遊ぶ。

ついでにさっき撫でた長い睫毛にも、フェザータッチをしてみる。

真っすぐで濁りのない、射抜かれるようなその明るい銅色の瞳は、

今は目蓋の下で休息中。

細く美しいラインの眉に、うっすらと見える睫毛の影、

その目元の美しさにしばし見惚れる。



セスナが突っ込んだ日の夜の逆バージョンに、くすりと思い出が蘇る。

その膝の柔らかさと温かさ、そして自分の髪が撫でられる感触が

どんなに心地良かったことか。

一方で、頭の中では警報が鳴りまくっていた。

寝たフリを装いながら、

香を掻き抱きたい思いと、このままの時間を維持したいという思いが

激しくぶつかり、香への想いが危うく外に飛び出そうになったあの時。



結局、それを悟った翔子には、セスナでの恐怖体験の中、

自分には聞く権利があると、白状させられたが、

その文言も気を失いそうな状況だった故、自分でもあまり記憶が定かでない。

普段だったらごまかすような内容も、

あの膝枕のせいで、

思いの他素直な部分が表に出かかっていたのかもしれないなと、

懐かしい記憶に思いが馳せる。



「俺も一眠りすっか…。」



撩もこの時間仮眠を取ることにした。

髪の毛をいじっていた右手をソファーにかけて、

こめかみにその丸めた拳を当てて頭を預ける。

左腕は毛布の上から香の脇腹に落とし、

見えている左の手首を上から包み込んだ。

細い手首なのに、親指が当たる部分から力強く打つ脈を感じる。



夕べから、香と一緒にベッドで過ごし、

寝るのがもったいなくて、殆ど覚醒していた自分に苦笑する。



己の感情を押し殺していたことが、まるでウソのような情景。

乾期から雨期になって、ひび割れた大地が潤されるように、

自分の持っていた深い渇きや飢えが、全て満たされる。

もっと、早く素直になれば、

お互い苦しい時間も、もっと短かったかもしれない。

だが、もう今は、もしもなど関係はない。

もう、迷う必要はない。揺らぐ必要もない。

今は、ただ

このぬくもりを確かめられれば、それでいい。

そんなことを考えながら、撩もしばしの休息をとった。



*****************************************
(10)につづく。





「膝枕」っていうダイレクトな名詞は英語では見当たらず、
やむを得ずタイトルを「Sofa」にしました。
天野翔子ちゃんの回の膝枕シーン、
その後を悶々と妄想していたのは、
ワタクシだけではあるまいっ!
っんと北条さんって、
「ご想像にお任せします」的な場面の区切りが多くて、
やってくれるぜ…と、折々に感じておりましたが、
当サイトでは、
撩ちゃんの初膝枕をここで使わせて頂きました〜。
目が覚めたら出発です。


【御礼】
いいんでしょうか…、こんなにカウンターがまわってしまって…。
8000Hit、日々このページを開けて下さる全ての方々に
感謝申し上げますっ。
2012.06.12.02:11

え?何でこんな時間に起きてるかって?
へへ、実は今日の午後、中学生の前で職業講話をするもんで、
その準備をしていたのだぁ〜。
どさくさ紛れに、
「おばちゃんが、みんなと同じ年の頃にはこぉ〜んなマンガを読んでたんだよぉ〜。」と
他の作品に紛れ込ませて、CHの完全版を持って見せてこようかと。
平成生まれのローティーンに布教してきますっ。
(なんか目的違うくないか?)


03-08 Housework

第3部 Turning Point

奥多摩の翌日


(8)Housework ******************************************************************2945文字くらい




「りょ…、うれしいよ…。」



香は、今度こそ本当のパートナーとして、

やっと、認めてもらった気がした。



2人でシティーハンターだと言われた時、

家族の1人になって欲しいと言われた時、

調整し直されたローマンを受け取った時、

海原戦の前夜に言葉を交わした時、

折々に垣間見せられた、パートナーとしての指定席は、

繰り返される日々の日常の中で、

いつ自分が追い出されるか、

いつ撩が自分の前から消えてしまうか、

安定感のなさを拭えない場所であった。



そばに居続けることをいつまで許されるのか、

男の気持ちが分からないままの生活。

ほのかな期待を確実に崖下へ突き落とされるような

足場の悪い吊り橋を常に歩き続けていたが、

撩のあの一言が、完全にその道に終止符を打った。



技術的にはまったく追いついていない現状を少しでも改善したい思いは、

かねてからの大きな悩み。



だからこそ余計に、撩の『鍛える』という言葉が、

これからもパートナーとして必要とされることを約束しているようで、

傍に居ることを受け入れてくれた撩に、溢れる想いが次々と湧いてきた。



どんな訓練が待っているのかは、まだイメージが浮かばないが、

常に命に関わる仕事なのだ。

生半可なままごと程度ではないことは容易に想像できる。

とにかく、撩の指導に任せるしかないと、

香は前向きに取り組む思いをさらに固めた。



そして、撩は一緒に兄のところに報告しに行くと、言ってくれた。

自分1人でも行こうと思っていたのに、2人でと撩から誘ってくれることに、

本当に色々なことが夢みたいだと、

大きく変わった関係をゆっくりと受け止める。



男が入れてくれたコーヒーを手にして、残りをくっと喉に流した。

ややぬるくなっているが、焙煎の味と香りが気分を引き締める。

気持ちを切り替えた香は、テーブルの上に視線が向く。



「……気にするなって言われたってねぇ。」



香は、静かに立ち上がると、

空の食器やコーヒーセットにボトルなどをシンクに運び、

台所の片付けを始めた。

「病気じゃないんだから、これくらいはしなきゃ。」

未だ違和感がある下腹部をさすりながら、作業を進める。



ふと、シンクの上にある別の空ボトルが目に入り、

いつ撩が飲んだのか考えを巡らす。

「ん?あたしが寝ている時に飲みにみたのかな?その時、こっちのボトルも?」

と、自分が持ってきたボトルを一瞥。

ベッドで手渡された水に、納得した。



これまでも、不器用で捻くれた表現では、

その場ですぐに気付くことが難しかったが、

基本的にあの男は優し過ぎるのだ。

依頼人にも、仲間にも、そしてパートナーの自分にも。

そんな撩が幾多の血の海を見てきたのか、

あの瞳が映してきたものを思うと、

香は、ぐっと胸が詰まった。



マリーからの話しを聞いた後、家の書籍や図書館で、

1960年代の中米の歴史について少し目を通した。

文字や写真だけでも、凄まじい惨状だったことが伺えるのに、

その現場で、親を亡くし幼い頃から生きざるを得なかったとは、

とてもじゃないが、自分の想像できる範疇を越えている。



「りょ…。」



どんな生い立ちだったのか、詳しくは知らない。

しかし、過去の傷を少しでも軽くしてあげることができないだろうかと、

実の親も知らず、誕生日も知らずに、戦渦の中で過ごしてきた、

不器用で優し過ぎる男に、

秘密のキスを聞いた時と同じように、

母性のようなものが込み上がってきた。



「おいおい、洗いモン気にすんなって言ったろ?」

と、がちゃがちゃと洗濯物干しのセットを持った撩が、

キッチンのドアを覗いた。

「ううん、これくらいさせて。」

香は、ドキッとしたが、シンクの前に立ったまま顔だけ振り返って返事をした。

「まぁーたく、休んでろって言ってんのに。」

ブツブツいいながら、リビングへ気配が遠のいた。

「撩ってそんなに心配症だったっけ?」

中華鍋を洗いながら首をかしげ頭に疑問符を浮かべた。



ぎこちない動きながらも一通り片付いたら、

今晩の夕食をどうしようか考え始めた。

とりあえずお米を研ぐことにする。

明日の朝食はパンにしたいので、夕食分だけにしておく。

それでも、撩が3、4人前軽く食べるから、5合で足りるか足りないか。

タイマーをセットして、主菜を探す。

アジを冷凍してあったので、ちょっと面倒だけど、マリネにすることにした。



計画が整うと、香はテーブルに座った。

「はぁ、やっぱり立っているのがしんどい。」

しかし頭の中は日常の家事ついて自分ができそうなことを思案中。

「でも、だまって休んでもいられないしね。」

重そうに立ち上がって、撩の部屋へ行くことにした。



かなりのスローペースで階段を昇り、戸を開ける。

少しだけ湿度の高い空気がふわっと流れる。

いつもと違う、と感じたとたんその理由がまた香を赤面させる。



香は、ゆっくり窓に近づいて、ガラス戸を開けた。

新鮮な空気がさらりと入ってくる。

「ふぅっ。」

一呼吸置いてから、横のチェストから新しいシーツとピロケースを取り出した。

汗やらなんやらで、しっとりしている上に、

何やら恥ずかしいシミも目に入り、顔を赤らめながら取り替える。

(あー、だめだめ集中しなきゃ。)

枕カバーも替えて、薄い掛け布団は半分に折って、ベッドに風を当てることにした。

「出かける前に窓閉めればいいわね。」



香は、シーツと枕カバーを持って、よろよろと再び階段を降りていく。

脱衣所で、カゴに持ってきたものを入れ、洗い物の量をチェックすると、

明日洗って干すことにした。

(やっぱり、ちょっと休も…。)

香は、軽く口を漱いでリビングに向かおうとしたら、撩が入ってきた。

手にはカラになった洗濯籠。

「おまぁ、なぁにやってんだ?」

シーツに気付き溜め息まじりで香を見た。

「…あ、出来る時にしとこうと思って…。」

最後まで言う前に、撩が口を開く。

「とっとと、リビングに行って楽にしてろ、ってか俺が連れてく!」

言うや否や、カゴをしまって、また香を抱きかかえた。

「きゃあ!」

「ちゃんと言うこと聞け。」

「ご、めん…なさい。」



何度目でもドキドキしてしまうお姫様抱っこ。

「ほっとくと掃除も始めちまいそうだな。」

香は、撩の変化にまだまだ慣れない。

とにかく、あれから妙に過保護だ。

「………。」

赤いままの香は、ただ無言で運ばれる。

撩は、廊下をずかずか歩いて居間の長椅子まであっという間に辿り着く。

「横になるか?」

「あ、ううん、座ってる。」

そろりと降ろされた場所は、L字型の長い方。

「ちょっと待ってろ。」

そのまま香の部屋に行き、来客用の薄手の毛布を持って来た。

「ほれ、これ使ってろ。」

「撩、あたし病気じゃないのよ?」

「ばぁか、普段通りに動けなかったらケガか病気とみなされんの!」

「ぐっ。」

「出かけるまで、3、4時間あるから、それまで体力温存しとけ。」

そう言いながら、またリビングを出て行った。



「はぁ。やっぱりかなり心配性になってるみたい…。」

香は毛布を抱きしめて、顔をうずめた。

ベランダにちらりと目をやると、きっちり干されている洗濯モノが見えた。

いつもの自分の干し方と殆ど変わらない。

「あれも、出かける前に取り込まなきゃね。」



とは言え、撩の言う通り、ちょっと動き過ぎた。

重い下半身、生理痛に似た痛み、未だに残る異物感に、倦怠感。

(これって、初めてだからなのよね…。

毎回こうだったらまともな生活できないじゃない!)

香は「毎回」という単語に勝手な想像をして慌てふためいた。

ともかく、今自分が疲れていることは間違いない。



香はソファーの角に移動し、

首を傾け、背もたれを枕変わりにして足を抱えた。

毛布はマント状にして羽織ってみる。

目を閉じて、頭も体もひとまず休めることにした。


****************************************
(9)につづく。





撩ちゃん、過保護モードです。
本当は、かおりんを終日休ませてあげたいところですが、
出来るだけ早く「報告」しにいかねばと思う撩ちん。
槇ちゃんが枕元に文句を言いにくるのが先か、
墓地で報告するのが先か、
なにせ、ついに槇ちゃんの溺愛する妹に手ぇ出しちゃワケですから、
即日レポートもありかと。
とりあえずは、カオリン一休みです。

03-07 Training

第3部 Turning Point

奥多摩の翌日


(7)Training *********************************************************************3000文字くらい



撩は、空のカップをテーブルの上に置き、

もう片方の肘もテーブルにひっかけ、

口調を軽くして続けた。



「…おまぁさぁ、いっつも自分のこと後回しにして、後先考えずに行動するだろ?」

「え?……ぁ…。」

香は、瞬時に暗さを伴う表情になり、カップを両手で包んだ。

やっぱり足手纏いなんだよね、と情けなさと悔しさで涙腺が緩む。

「あ、勘違いすんなよ。足手纏いとか思ってんじゃねぇーだろうな。」

泣きそうな香は、あれ?と思った。



「お前は、自分の身の安全を二の次にして、

依頼人や他人を助けようして、何度か危険な目に合っているのは自覚しているか?」



撩は、小さなしおりを蝙蝠のナイフから身を挺して守ろうとした香の姿や、

自転車で転倒した少年をかばって、車に轢かれる直前だったこと、

目の見えないまゆこに車が突っ込んできた時のこと、

エンジェルダストを投与されたミックに飛びついた時のことと、

過去の様々な事案を思い返していた。



「もう、これは性分なんだろうから、

やめろって言ってもたぶん治せないもんだろ。」

今まで抱えていた想いを少しずつ吐露する撩。

「それとは別にさ、俺の相棒だって理由で、

狙撃されたり拘束されことも何度もあったよな。」



香は、柏木圭一の依頼や、銀狐の時、北尾刑事と一緒に監禁された時、

そして今回のクロイツの件のことが、ざっと脳裏を流れた。

シティーハンターのパートナーとして認知されてなかったまでも、

依頼人と一緒に拉致されたり、

人質になったりしたことも合わせたら、両手では足りないかもしれない。



「それで、おまぁがケガしたり、取り返しのつかないことになったら、

それこそ俺が槇ちゃんに呪い殺されること確実だしな。」

「ご、め…なさぃ…。」

「ばぁか、謝んなくっていいっつぅーの。」

撩は右手で香の頭を自分に引き寄せた。

「謝るのは、俺の方だ…。」

香の髪に鼻先を埋める。

「…こんな世界に、…おまぁを引き込んじまったことは…、

いくら詫びても、…槇ちゃんには、許してもらえないだろうな。」

「撩っ!それは違うわ!」

香は、目を見開いて顔を上げた。

「ぐへっ!」

「いったあっ!」

その拍子に、撩は顎をしたたかにぶつけた。アッパーカット状態だ。

香も頭を抱える。

「〜つぅ。」

「い、今のは、油断した…。」

撩は顎をさすりながら、苦笑いをする。



「大丈夫か?」

「…うん、…でも、でも、さっきの違うからっ!撩が引き込んだんじゃないのっ。」

手があいていないことに気付いた香はカップをテーブルに置くと、

真剣なまなざしで、撩の胸を掴んで言った。



「…あたしが、…自分で、望んだことなの…」



今度は撩が目を見開く。

「…あたしが、……あなたの傍に、ずっと居たいと勝手に思っていたから…。」

そこまで言って、香は視線を落とし、口をぐっとつぐんだ。

「…だけど、結局、お荷物なんだよね。…押しかけパートナーみたいなもんだし、

…いつも撩に迷惑ばかりかけて、危険な目にあわせて…。」

(あたしのせいで、撩が死んじゃうかもしれないのに…。)



飲み込んだ言葉は、音にしてしまうと現実になってしまいそうで、

とてもじゃないが、言えなかった。

自分のせいで撩が命を落とすという、決してゼロではない確率に、

すでに語尾は涙声で震える。



撩は大きな溜め息をつく。

(まぁーだ、そんなことを考えてんのか。)

「……いいか、香。お前のほうが危険な目に『合わせられている』んだぞ。」

撩は、香を両腕で胸に抱き込んだ。

「俺のせいで。…俺の傍に居る限り、これからも色んなことが起こるはずだ。」

「りょ…。」

腕に力がこもる。



(…俺は、…お前を失いたくない…。)



幾度となく、まわりの人間が大切な者を、愛する者を失う現場を見てきた。

闇の世界に生きる者たちが、自分のウィークポイントとなる

家族を攫われ、見せしめのごとく本人の目の前で惨殺された例など、

履いて捨てるほども知っている。



自身も、ケニーに、槇村と、その死に立ち会い、

ゲリラ時代に共に闘った仲間も燃え尽きた命は数えきれない。

だからこそ、自分には愛する者をそばには置けないと、

愛する者を、大事な者を作るのはタブーだと、

失う恐怖を味わうくらいなら、そんなものを始めから望まなければいいと、

人を愛おしむ感情そのものを中米の地に置いてきたつもりだった。



全ての生死に無関心であり続けるような、

死神としての生き方を変えるつもりはなかったのに。

なのに、槇村と出会い、香と出会い、

自分に、こんな感情がまだ残っていたのかと、驚かされ、

まるで忘れ物を届けられたような気分をも味わった。

人間らしさを自分の中に甦らせてくれたのも、槇村と、そして香だ。



「…撩。」

しばらく続いた沈黙は、香の小さな声で途切れた。

「…だから、おまぁに俺と生きるための訓練をする。」

二人の視線が柔らかく絡む。

「…りょ……。」

「まあ、心配するな。

最近、おまぁも気配消すの上達してきてるし、

タコ伝授のトラップも業界じゃトップクラスだ。

ミックや美樹ちゃんにコーチしてもらってから、射撃もコツが分かってきただろ。

身のこなしも随分素早くなってきたし、基礎は十分だから、あとは応用だ。」



次から次へと出てくる自分への褒め言葉に、

香は幻聴じゃないかと、目を丸くする。



「……ほ、ほんとに?」

「ああ、たぶん、声かけなくても、美樹ちゃんやタコが、一緒にセンセーしてくれんだろ。」

香は、こみ上げてくるものが抑えきれない。

嬉しさなのか、喜びなのか、理由の分からない涙がボロボ出てくる。



「ったく、そんなに泣くなって。

……人を殺すための訓練じゃない。

自分を守り、依頼人も守れる、生きるための訓練だ。…やれるな?」

「……ぅ、うん!」

「手加減しねぇーぞ。」

香は一瞬、ぴくっと反応したが、

表情と身を引き締めて背筋を伸ばし言葉を返した。

「はい、よろしくお願いします!」



撩は、そのまっすぐな瞳に、自分が溺れていく気分になった。

(あっちのほうも手加減しねぇとか言ったら即ハンマーかな。)

「撩の、…パートナーとしてちゃんと動けるように、鍛えて欲しい…。」

「公私ともに、だろ?」

カァーッと血流が香の表皮に広がってくる。

零れ出た涙を、撩は親指でそっとぬぐい、

そのまま、大きな手の平で頬を包んで香の唇をゆっくりと味わった。

「ん…。」

目を閉じた香から小さな声が漏れる。



(死なせやしない。

共に生きて、お互いの誕生日を過ごすんだろ。

何があってもお前を守り抜く、だから…、絶対に俺より先に逝ったりするな…。)



深くなる接吻、撩は自分の想いを託すように、密着度を高めた。

太い腕が香の背中にまわり、ゆっくりと上下に動く。

緩やかに振れる頭部の軸が、細やかな変化を香の唇に与える。



「ん…、ふっ…。」

まだ、息つぎがうまくできない香の苦しそうな声に、

はっと引き戻される。

(だぁー、いかんっ!

このままここで、おっぱじめてしまいそうだ!やめ、やめっ!)

撩は、名残惜しいとばかりに、また、ちゅうーと全唇に吸い付いて、ぽんっと離れると、

これからの予定を伝えることにした。



「よ、よしっ!俺は洗濯モン干してくるから、

おまぁは、夕方までリビングか俺の部屋で休んでろ。」

上から下まで真っ赤になった香は、

恥ずかしがりながらも、撩のキス終了の合図がなんとなく気に入ってしまった。

「そ、そう言えば、出かけるって、どこに?」

「槇ちゃんとこ!」

撩は、細い肩に手を添えたまま立ち上がる。

「あ、洗いモン気にすんなよ。」

離れ際に、香の髪をくしゃりと触れながら、そう言い残して脱衣所に向かった。


**********************************************
(8)につづく。





訓練宣言、
これもリョウカさんのイメージを応用させて頂きました。
香を終生受け入れる決意をした撩は、複雑な心境を抱えながらも、
きっと香を鍛えるに違いないっ!
これもCH共通イメージって思っちゃだめ?
撩のコーチって、どげなもんかと、
これまた妄想ネタが膨らみますが、
カオリンの持っている素質を
さらに上手に引き出してくれることでしょう。
公私ともに〜♡

03-06 Eskimo Kiss

第3部 Turning Point

奥多摩の翌日


(6)Eskimo Kiss ****************************************************************1984文字くらい



3、4人前ほどの量をあっという間に食べ終わった撩は、

「はぁー、くったくった!」

と食器を下げながら、

やかんに火をかけ、コーヒーの準備を始めた。



サラダを食べながら、香はふと思い出して、撩に聞いてみた。

「ねぇ?」

「なんだ?」

「あ、あのね、…さっきの、バタフライなんとかって何?」

ゴトン!ガシャッ!

撩はミルを床に落とした。

「わっ!だ、大丈夫?」



「あははは…、わりぃ、手が滑った。」

(持ってるのがカップじゃなくてよかったっ…。ってか、どうやって説明しろっつーのっ。)

ひきつった笑いの撩がギクシャクしながら、

ミルを拾い上げ、豆やらコーヒーカップやらを用意する。



香は、疑問を聞き直そうか迷ったが、挙動不審になった撩の姿を見て、

これもまた聞いちゃいけないことだったのかと、

黙ったまま、サラダを食べ終え、スープを飲み干した。

その間、撩はミルを回して豆を挽く。



やかんの笛が鳴り、撩がコーヒーをいれた。

無言のまま耐熱ポットからカップに注ぐ。

夕べから2度目の撩のコーヒーに、香ばしい香りがキッチンに広がった。



「ほれ。」

撩は、香の前にコーヒーをスライドさせた。

「あ、ありがと…。」

するとおもむろに、撩は香の右隣に反対向きに座った。

その近さに、ドキリとする香。



左手にカップを持った撩は、右手をゆっくり動かした。

「……バタフライ・キスってのは、ここが触れることなの。」

撩の小指が、すっと香の右の睫毛だけをなぞった。

「ひゃあっ!」

真っ赤になって思わず、のけぞる香は、

バランスを崩してダイニングチェアから、ずれ落ちそうになった。

「っと。」

撩は右腕を伸ばし、そのまま香を抱き寄せた。

顔の距離が近くなる。

重ねて更に赤くなる香。

すぐに表情にでる香を見て、撩はまた悪戯心が疼いてきた。



「……エスキモー・キスも、してみる?」

抱き寄せている右腕が、そのまま後ろ頭に滑る。

「え?」

視界一杯の撩の顔が目を閉じながら、近づいてくる。

(うわー、近いっ!)

香は目をきゅっとつぶって、固まった。

すると、鼻先にすりすりと何かが優しく擦れ合っている。

片目だけうっすら目をあけると、ピントは合ないが、

どうやら撩の鼻尖が自分の鼻に触れているらしいのが分かった。

近過ぎる距離にボボッとまた一段赤くなる。

耐えきれず瞬時に瞼をまたきゅっと下ろしてしまった。



「ガキ以外では、これも初めて、だな…。」

首を少しかしげながらゆっくり離れた撩はそう呟いた。

アメリカ時代に、小さいソニアに、すりよられて何度かしたことはあったが、

大人の女に、ましてや自分からエスキモー・キスなんて考えられなかった。



「エスキモー?」

香は、朱に染まりながらも、なぜエスキモーなのか気になった。

「エスキモー、って最近はイヌイットって呼ぶけど、寒いところに住んでいるだろ。」

撩は説明を続けた。

「いっぱい着込んでいるから、顔も殆ど防寒具で覆われているけど、

鼻先だけは出ていることが多いから、キスの代わりに鼻をすり合わせるんだと。」

「へぇー。」

ちょっとした撩の雑学に照れながらも素直に感心する香。



「まぁ、この2つは、アメリカ人だったら、誰でも知ってるよ。」

撩の北米生活が長かったことを思い出しながら、香はあれ?と思った。

「ん?でも、初めてって?」

撩は、やや不機嫌そうな顔をして、視線をそらしコーヒーを持ち替えてカップに口をつけた。

「〜っ、そっ!両方とも初めてなのっ!撩ちゃんはっ!」

半ばやけくそな口調。

「へ?」

「…悪いか?」

カップに口をつけたまま、バツの悪そうな目で香を見る撩。

あらかさまに照れていることが分かる行動に、香はプッと吹き出した。

「ううん、全然悪くないよ、むしろ、…ぅ、嬉しい、かも…。」

撩は、その嬉しいという言葉に、にわかに動揺する。



経験豊富な撩に初めてのことなんてなさそうに見えるのに、

意外なことが撩にとって初ということが、

香は無性にくすぐったく、嬉しく、心が穏やかな気分になった。

撩は、ふっと笑って、香に直接コーヒーを手渡した。



「まぁ、飲みながらでいいから、そのまま聞いてくれ。」

「何?」

撩の表情がすっと変わる。

あの海原戦の前夜に見た顔と一緒だ。

香は、手渡されたコーヒーを少しすすって、次の言葉を待った。

撩は、空になったカップを両手で持ち、膝に腕を乗せ、やや前屈みで正面を見る。



「……俺に腹案があるって言ったこと覚えてるか?」

香はカップに口をつけたまま、しばし考えた。

たぶん、撩が言っていることは、奥多摩の帰り、車内で話していたときのことだろうと、

すぐに記憶が結びついた。

「…うん、覚えてる。」



撩は、ふーっと、一息吐いた。

「香…。」

視線だけを振り向きながら送る。

「…一緒に、……二人で生きるために…、」

撩は上体を起こし、右肘をテーブルにかけ、香に向き合った。

「……お前を、鍛える。」

「!!」

香は、目を見開いた。

「…りょ…。」


************************************
(7)につづく。






ラストの撩のセリフ、
リョウカさん、ここまで真似てしまって、
っほんと申し訳ないです!!
他の代替シーン、全く降りてこずでした…。

【今更修正】
煎れた⇒いれた
に訂正しました。
Sさんお知らせ感謝!
2014.02.11.23:44

03-05 Lunch Time

第3部 Turning Point

奥多摩の翌日


(5)Lunch Time ******************************************************************3186文字くらい




洗面所からキッチンに入った撩は、冷蔵庫の中身をチェックした。

炊飯器の中には夕べ炊いた飯が残っている。

たぶん、朝食の分も兼ねて多めに用意していたのだろう。

量は十分にある。

ただ、朝までの保温だったら、そのまま使えるが、

昼までの長時間保温だと、どうしても古い炊き上がりの匂いが残る。

そこで、撩はチキンライスでトマトケチャップを使い、古い香りをごまかす調理法を選んだ。



無駄に器用な撩は、

以前海辺のオーディション会場や、竜神会会長の娘のボディーガードをした時、

そしてかつてのお隣さんであるダンサーの次原舞子宅での出張朝食などで、

本意不本意含め『まかない婦』として、料理の腕を発揮したこともある。

ただ、日頃は香の手料理が食べたいので、あえて食事を全面的に任せていたりする。

「たまには、香ちゃんのために腕をふるいますか。」

独り言と共に無意識に顔を緩ませ、ご機嫌モードで調理を始めた。



途中、壁一枚隔てた右手側の浴室から、水音と物音を拾って、香の気配を確認できていたが、

さすがに、水音に紛れて声までは聞き取れない。

故に、さっきの香の独り言は、知る由もない。

撩は、つい入浴中の香とベッドで見た香の姿を重ねて想像し、スケベ顔に緩んでしまう。

(ぐふっ、香があんなにいい体だったとは、っんと想像以上だったなぁ♡。)

そう思ったとたんに、反応のいい相棒がポンッと元気になる。

「あ、こらっ!ばかっ!大人しくしろってっ!」

撩は、頭をブルブルと振って、隣の気配をなるべく気にしないようにしながら、

食材に集中しなおした。



冷凍庫から取り出した鶏モモは固く凍っていたが、撩の力で簡単に、細かく裁断される。

「んー、頑張って磨いではいるが、もう一歩だな。あとで包丁も手入れしてやるか。」

と、砥石の場所を確認した。

ナイフなどの刃物にも小さい頃から扱い慣れてきた撩にとって、

切れ味は納得のいくものを使うのがセオリー。

包丁とて、撩の手にかかれば新品同様に様変わりする。



まずは、食材を切るのが先だと、冷凍インゲン、タマネギ、ニンニクを素早くみじん切りにし、

缶詰類の中から、とうもろこし缶を選んで、水切りをする。

レンジで残りご飯を温めている間に、中華鍋に、オリーブオイルを入れ、

熱したところで、具材を炒める。

軽く塩とコショウで味付けをして、

火が通ったら、これでもかっと言う程トマトケチャップを投入。

水分の蒸発で甘みが増す。

そこに、温まった飯を踊らせ馴染ませれば、ほぼ完成。

ついでに、レタスを素早くちぎって、キュウリとトマトをスライスすれば、

付け合わせのサラダも出来る。

テーブルの上にある、パセリの鉢植えから何房か摘んで、

みじん切りに、と包丁を手にとったら、キッチンのドアから気配を感じた。



「……りょ…。」

戸の陰からひょこっと顔、というか目から上だけを出している香。

撩は背中を向けたまま、振り返る。

「あぁ、もうちょいで出来るから。上に運ぼうかと思ったけど、ここで食うか?」

「……すごくいい香りがする。」

香は、歩きにくそうなところをあまり撩に見られたくなくて、

撩がまな板に向き合ったところで、キッチンにゆっくり入り、

ダイニングテーブルに持っていたボトルを置いて軽く片手をついた。



「ここで一緒に食べるか?」

後ろ向きのまま再度問うてきた撩に、香は慌てて答えた。

「あ、うん。そ、そうだ、あたし、スープ用意するわ。」

香は、普通を装いながら冷蔵庫の前に移動し、

メニューを読んで、冷凍してあった具入りのコンソメスープを取り出した。

製氷皿に小分けで保存しているので、必要な分だけ取り出して、

スープ皿に入れてレンジで温めるだけ。

「おまぁ、無理すんなって言ったろ。」

パセリをみじん切りしながら、撩が言う。

「平気よ。それにしても、撩が食事作ってくれるなんて、

大雨洪水警報でも出るんじゃないかしら?」

「んだよ、それ。」

撩は、盛りつけたチキンライスにパセリを散らしながら、

ぶすっとした表情で答えた。

「だって、やっぱり、今までにこんなこと滅多になかったもん。」

昨日からの、この撩の変化には、やはり慣れない。

「いいんでない?たまにはな。」

変化に適応するのに、お互いまだ時間がかかりそうだと、撩は苦笑した。



電子レンジが温め終了の電子音を発する。

「あぁ、俺が出すから、おまぁ、座ってろ。」

向き合った香の姿に一瞬動きが止まる撩。

「…それ、初めて見る服だよな。」

冷蔵庫からドレッシングを取り出そうとする香は、

すぐにそれに気付いた撩の観察力に、照れと驚きで赤面する。

(あ、あたしの服なんて、無関心だと思っていたのに…。)



「……あ、前にね、絵梨子がくれたの。」

「ふーん。」

両手に主菜の皿を持って、口角をわずかに上げた撩は、テーブルに配膳しながら、

優しい視線を香に送った。

「似合ってるぜ。さすが絵梨子さんだ。おまぁの良さを十分引き出してる。」

「?!?!?!」



てっきり、馬子にも衣装だとか、服が気の毒だとか、

他のモデルにあげるもんだったんじゃねぇの?とか、

憎まれ口が発せられるかと思っていた香はカァーっと赤くなり、

手作りドレッシングの瓶を握りしめたまま、冷蔵庫の前でフリーズしてしまった。



撩は、つい出た言葉に、ちとダイレクトに言い過ぎたかと、

その反応が愛らしくて、くすりと笑う。

こんな些細な褒め言葉でも、今まで言ってやれず、

憎まれ口ばかりで、どんなに香の心を抉ってきたことか。

(あまり、こーゆーことを言うのもガラじゃないが、たまにはな…。)



「さ、早く座れって。立ってるのが辛いだろ。」

両肩に後ろから撩の大きな手がかぶり、

そのまま浴室側の長椅子に誘導され座らせられる。

(あ、辛いのバレてる…。)

レンジからスープ皿を取り出し、これにも刻みパセリを散らしながら、

撩は、ちゃっちゃかと配膳を整える。

「ほい、食うか。」

短時間で、チキンライスとコンソメスープとサラダが仕上がる。

撩は、自分の大盛りにざくざくスプーンを入れ、みるみるウチにカサが減っていく。



赤くなっていた香は、料理の芳香にハッと気付いて、

目の前の食事に視線を落とした。

「本当にいい香り、いただきまーす!」

空腹だった香は、嬉しそうに最初の一口を運ぶ。

「おいしっ!」

撩の手が止まる。

突然の既視感、いわゆる『デジャヴ』が甦る。



あれは立木さゆりが香とキッチンで料理をしている時に見た、

香の笑顔、それと重なった。

彼女と一緒にただ話しているだけで、

あんなにも楽しそうで幸せそうで眩しい笑顔になった香を見て、

自分は、香を怒らせ、悲しませ、泣かせ、不安がらせ、

その表情を歪ませてばかりだと、

自分と一緒では、香は笑顔になれないと、

姉と会話する幸せそうな香の微笑みに、彼女が自分の元から去ることを半ば覚悟した。

しかし、香は実の姉との生活よりも、撩との生活を選んだ。



今、目の前に、幸せそうな笑顔の香がいる。

撩は、ふっと、短い思索から意識を今に戻した。



この笑顔を守りたい。



らしくもなく、こんなことをまじめに考えてしまった自分も悪くはないな、

と香を見つめる。

撩の視線に気付いた香は、ちょっと照れながら、目を合わせた。

「すっごく美味しいよ。」

撩は、上目遣いで、首をかしげたままスプーンをくわえる香が自分を見ているのに気付く。

(まぁーたコイツは無意識でそんなツボなことをするぅ。)

「そりゃそうだろ、隠し味に毒キノコ入れといたからな。」

「はぁ?」

自分も照れて余裕がないのを隠すために、ごまかしの返事をしといた。

それを分かってのことなのか、香は一度クスッと笑った。

(お腹すいていたのもあるけど、……撩が作ってくれたっていうのが

ものすごく嬉しくて、美味しさがアップしてるみたい。

これって相乗効果って言うのかな。)

こんなこと、直接言ったら、まるでバカップルだわと、思いながら、

香は嬉しそうに食事を進めた。


*******************************
(6)につづく。






奥多摩から2回目の食事シーンでございます。
撩ちゃん、ちょいとだけ素直バージョンです。
節約志向の強い香ちゃんだたら、
炊飯器の保温を翌朝までオンにしっぱなしというのも、
あまりないかもしれないかーと思いながら、
疲れていたらから、切るの忘れてたってことで。
メモ:レンジで温め直すほうが圧倒的に電気代がかからないらしい。



【訂正!】
またやっちまいましたぁ〜。
「孫にも衣装」→「馬子にも衣装」の誤字訂正させて頂きましたっ!
こーゆーオトシ、私生活でも売る程あるので、
情けない限りでございますぅ〜。
ご指摘感謝です!


【御礼】
ひぇ〜、いつのまにやら7000hit!
ご訪問、本当にありがとうございますぅ!

2012.06.04.22:50

03-04 Complex

第3部 Turning Point

奥多摩の翌日


(4)Complex ********************************************************************2690文字くらい



香は、脱衣所につくと、

ランドリーバスケットに、タンクトップを入れた。

洗面台には水がはじいた痕があり、撩の残り香をかすかに感じる。

(さっきまでいたんだ…。)

それだけでも、顔が赤らむ。

しばらくは、照れや緊張で撩と普通に話せないかもしれないと、

行動の変化が予感される。



纏っていたものを脱いでいくと、香は自分を見てはっとした。

3カ所ほど小さな赤い華が自分の白い肌に残っている。

(こ、こ、これってキスマーク??)

また心拍数が早くなり、顔が更に赤くなる。

肌にダイレクトについているものを見たのは生まれて初めて。

撩がたまにつけてくるキスマークは、得てして濃い口紅が付いた跡。

ゲイバーで付けられたとか言い訳していたそれと、

吸引されて付けられたものとでは色と形が全く違う。



香はそっと、首元と胸部周辺を指先でなぞってみた。

あの時間が夢ではなかったと証明している撩の痕跡。

触れていた唇の感触がよみがえり、またボッと赤くなる。

(ああ、そう言えば、付けたの初めてのようなことを言っていたような…。)

自分も付けられたのなんて初めて。

消えないでほしいな、

とちょっとでも思ってしまった自分が無性に恥ずかしく、

「ばか…、何考えてるの…。」

そう小さく呟いて浴室に入った。



昨晩のお湯がそのままになっていたが、

沸かし直す時間を考えるとシャワーだけにして、

残り湯は洗濯物に使うことにした。

少し熱めのシャワーを出す。

髪の毛を洗った後、汗を沢山かいていたので、

石けんネットで、しっかり泡立てて、ゆっくり体を洗う。

「んー、体が、重たい…。」

(はぁ、こんなんじゃ、いざって言う時動けないわ…。)

泡を洗い流しながら、自分の体を見つめる。



撩は、綺麗だ、と言ってくれた。

その言葉をなんとか信じることにはしたが、

どう思い返しても、撩の好みのポイントは見つからない。

撩が、ナンパする時の共通項は、

ロングヘアで、色気を振りまいている色っぽい女性。

バストは自分より大きい人ばかり、スタイルの良さも、叶わない美人が多い。

上手に化粧をほどこして、女らしい立ち振る舞いで歩く、

そんな人がいつも狙われている。



それに比べて、やはり自分は、

撩の好きなタイプには遠いものしか持っていない。

きっと、経験が多い撩を満足させることなんて、自分に到底出来るとは思えない。

我慢をさせるくらいなら、

他の人のところに行くことを咎(とが)めることなど、

出来はしない。




香は、経験値の差と自信のなさから、

妙なコンプレックスが脳を巡り始めた。

「自分だけを見てだなんて、言えないわ…。」

暗い思考のループにハマってしまった香は、

しばらく、シャワーにあたりながら、動きが止まっていた。



父子家庭から兄との2人暮らしとなり、

自分のワガママを幼い頃から抑えてきた香は、

兄にも自分の欲をあらかさまに訴えることをしたことがなかった。

撩と一緒に、アパートに住み始め、共に生活するようになってからも、

時折よぎる、撩への「欲」は、

自分の中の醜い欲望としてしか受け止めきれず、

心の奥深く押し込め表に出ないようにフタをしていた。

それが、こうしてやっと身を繋いだ後も、

まだしまい込んでいるものを出せないでいる。



おそらくそれは「もっと甘えたい」とか「独占したい」という欲望。

ある種の怯えもあり、

それを表に素直に出すなんて、とてもじゃないができそうにない。

香は深い溜め息をついた。



恋人とかじゃなくてもいい、

パートナーとして、傍にいることだけが、

自分の望みではなかったのか。

関係が変わった今、まだ頭の中は混乱している部分がある。

ふいに水圧の変化があり、

キッチンで水を使っていることがすぐに分かった。

「あ、いけない。出なきゃ…。」



鈍い体をゆっくりと立ち上がらせ、

使った物を片付け、壁に手を添えながら脱衣所へ出た。

バスタオルを取り、しずくを拭いながら、よろけそうになるのを必死でこらえる。



「あ、足に力が入らない…。」

まだ、腹部も鈍い痛みが続いている。

バスタオルを体に巻き、ドライヤーで髪の毛を乾かす。

短いので、けっこう早めに乾くのだが、

何分クセっ毛なので、その後の直しに手間がかかる。



頭部が落ち着くと、香は、絵梨子からのプレゼントを使うことにした。

自分たちの仕事の事を考えてくれた、

動きやすくて、隠れ収納もあり、

かつ可愛さもあって、香に似合うものと、

誕生日プレゼントに贈ってもらったのだ。

上下のデニム生地のタイトスカートと上着、

フィット感のある長袖のハイネック。



スカートは、実はタイトと見せながら、マチの部分がかなりあり、

開脚しやすい作りになっている。裾の裏地には、小物を隠せるスリットがあり、

上着も、ジャケット風でありながら、薄くて軽くて、しっかりしている。

こちらも、内ポケットが複数施されている。

ハイネックは、デニム地に合わせた、スカイブルーで、

汗をかいても体が冷えない特殊な生地。

下着も新しいのを出してきた。

動かしにくい体でもたつきながらも、ストッキングをはき、全て新しい衣類で身を包む。



「ふぅ、着替え完了。」



香は、軽く歯を磨いて、ふと洗濯機を見た。

夕べから放ったらかしだった洗濯槽の中を確認し、

1回だけ濯ぐことにして、ボタンを押した。

(脱水の後、放置しすぎたわね…。)



そのまま、壁づたいに自分の部屋へ戻る。

「…杖が欲しい…。」

ドレッサーに座ると、軽くメイクを施した。

普段は付けない淡い色のルージュをごく薄く引いてみる。

これも絵梨子からのプレゼント。

天然色素を使用したレアな商品。

しかし鏡に映る自分の姿に、やはり自信が持てない。



「……りょ…、本当に、あたしなんかでいいの?」

槇村の写真に視線を送る。



香の思い込みである容姿の魅力不足に加えて、

足手纏いな自分のせいで幾度撩が危険な目にあったか、

いつか自分のせいで、撩が命を落とすかもしれない。

まゆこちゃんを救出した山荘で、撩が被弾したと思い違いをした時のことや、

神宮寺氏と話した時、ソニアと公園でやりとりした時を振り返り、

深く自分の心に巣食っている恐怖がまた蘇る。



思い返すだけでも、ぞっとし、そばに居続けていいのか、

固く決心したはずの想いに、揺らぎが湧いてくる。

一線を越えたことで、撩をより命の危険にさらし、束縛してしまう、と

香は今までとは違った不安や焦燥を感じていた。

涙腺がじわりと緩む。



「だめ、1人になると暗いことばかり考えちゃう。」

さっき撩の部屋から持ってきた水を、くいっと飲んで空にした。

「よし、キッチンにいこ。」

空いたボトルを手に、香は立ち上がって、部屋を出る。

戸を開けたとたんに、レストランを思わせるいい香りが鼻先を掠めた。


*************************
(5)につづく。




香ちゃん、もんもんと不安にかられています。
リョウカさんのご配慮に甘えて、
ここでも香が新しい衣類を纏うシーンをまねっこさせて頂きました。
いわば人生の一大事ともいえる大きな節目。
香ちゃんは、このような事案の後は、きっとこうするに違いないと、
強く共感してしまいました。
ワタクシ、ファンション系の見識ほぼゼロに近いので、
コーディーネートでおかしなところがあるかもしれませんが、
お許し下さ〜い。
(生き物Tシャツコレクションは100着以上あるんだけどな〜)

プロフィール

きまりも

Author:きまりも
since 2012.03.31.


5周年記念に
プロフ画像を貼ってみた。
十波ちゃん作。


中学高校時代に読んでいた
シティーハンターに
再燃しハマってしまいました。


ブログのタイトルは
ホトトギスの英名。
基本カオリストです。
丑年といえば年がばれるか?


9万hit記念に
とりあえず作ってみた
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