17-14 Bar Casino

第17部 Compensation Of Bill

奥多摩湖畔から9日目


(14)Bar Casino  ***************************************** 3717文字くらい



「エロイカ」の裏口から表通りへ出た香は、

明るく振る舞うモードを無意識に解いてしまった。

大きく溜め息がでる。



一気に知らなかった情報が浴びせられ、

これまで、なんとなくとしか感じていなかった

撩と他のオンナとの話しを間接的にかつ具体的に説明されてしまい、

足元は、まるで田植え前の田んぼの泥の中を歩いている気分になっていた。




「……次の、お店はさっさとすませなきゃ…。」

今日渡す予定の残りの封筒をバッグの中で確認しながら、

香は目的地に足取り重く向かう。




「『カジノ』さんも久しぶりかも…。」

ここは、正面からお邪魔することにする。

まだ、看板は出ていない。



「こ、こんにちは…。マスターいます?」

ここもお決まりのように、カウベルがカランと鳴った。

「香さん!」

カウンターの向こうで、若いバーテンダーは持っていた

ビールケースをがしゃんと落とした。

「ご、ご無沙汰しています。あ、あのツケの支払いに来ました。」

慌てて入口に駆け寄る男は、心配そうに声をかけた。

「い、い、いいんですか?出歩いて!」

「は?」

「いや、だって…。赤ちゃんが…。」

「え?あっ!そ、そ、そ、それウソですからっ!」

香は、先日聞いた自身の懐妊説をずばりその耳で聞き、

慌てて否定した。

「ち、違うんですか?ほ、ほんとに?」

「もう!本人が違うって言っているんですから、間違いないです!」

香は視線を足元に落としながら、赤くなってそう返事をする。



「いや、まわりが当たり前のように、そう言っていたものですから…。

大変失礼しました…。」

「はははは、なんでそんな話しがでちゃうんでしょうね〜。」

香は、最後まで言った後に、墓穴を掘ったとはっとした。



「もうこの界隈、お祝いモードですよ。

今日、ここに来て下さってありがとうございます。

どうぞ座って下さい。是非出したいものがあるんです。」

「え、いえ、そんな、ツケを払いに来ただけなんで、すぐにおいとましますから。」

封筒を取り出そうとする香を制して、バーテンダーは席を勧めた。



「香さん、南極の氷を味わってみませんか?」

「な、南極?」

そのままスツールに座らざるを得なくなる香。

「そうなんです。

マスターの知り合いに国立極地研究所に出入りしている奇人がいましてね、

その方を経由して手に入れた特別な氷です。」



カウンターの中に戻って行くバーテンダーを目で追いながら、

いつだかテレビで見たペンギンたちがブリザードの中で耐えている姿が思い浮かぶ。

彼は、業務用冷凍庫を開け奥から、タッパーを取り出した。

それをアイズボックスにいれ、アイスピックで手際よく適度な形に砕いていく。




「ウィスキーを割る時にお出しするんですが、

香さんには氷そのものの味と空気を純粋に楽しんで頂きたいと思いますので、

富士山の地下水を使わせてもらいますね。」

丈の低いグラスの中に、大きな氷の固まりが一ついれられ、

ビン詰めされた軟水をゆっくり注がれた。

そのとたんに、シュワシュワシュワ…と、

氷に閉じ込められている空気が弾ける音が小さく奏でられた。



「……2万年前の空気が溶け出す音です。」

「に、2万年前??」

「地球の歴史に比べたら、2万年という長さはほんのわずかなものですが、

それでも、その当時に南極に降った雪が固まって出来た氷と

その中に閉じ込められた空気を目の当たりにすると、

どこか厳(おごそ)かな気分になってしまいますよね。」



香は、クラスの中で目に見える小さな気泡をじっと見つめた。

「……2万年前、か……。」

頬杖をついて、グラスを傾ける。

「ねぇ、あたし、歴史のことよく分からないんだけど、

2万年前の地球ってどんな感じだったのかしら。」

「ああ、私それ調べたんですよ。お客様にお出しすると必ず聞かれるので。」

苦笑しながら、若い男は答えた。

「最後の氷河期のピークらしいです。今より海水面が100mも低くて、

陸地と島が色々なところでくっついていたみたいですよ。」

氷が入っていたタッパーを冷凍庫に戻しながら振り返る。

「今よりかなり寒かったっていうこと?」

「平均気温は7、8度低かったみたいですね。」

「うわ…。」



今、私たちがこうしているのも、遠い先祖たちが

その氷河期を生き延びてきたからだと思うと、

ぐっと胸を掴まれる気分になった。

全ての命がその数万年、数億年の背景を背負っている。

自分も、撩も、出会う人みんな、命あるもの例外はない。



「なんか、すごい…。」

「でしょ。」

洗い残しのグラスを1つ丁寧に洗い始めるバーテンダーは、

香を優しく見つめる。



「……飲むの、もったいないな……。」

「私も、余程のことがなければ出しませんよ。

それに相応しいタイミングだと思ったからです。」

拭き上げたグラスをことりを置き、目を細めて微笑む。



「香さん、本当によかったですね…。」

「……ぁ。」

何がと言わないカウンターの向こうの笑顔に、

香は思わず薄く微笑み返した。



「どうぞ、味わってみて下さい。」

「ぃ、ぃただきます…。」

香は両手でグラスを持ち上げて、つと唇を寄せた。

こくりと柔らかい冷たい水が喉をじんわりと下って行く。

細かい泡が粘膜にとても心地いい。

「あ、おいし…。」

「本来は、かなり純水に近いものらしいですが、水としての美味しさは申し分なしかと。」

「ほんとにそうね。」



二口、三口と舌の上で転がしながら水を味わう香。

「できれば、氷が全部溶けるまでここで、ゆっくりして頂きたいのですが、

あまりお引き止めする訳にはいきませんよね。」

「あっ、い、今何時かしら?」

「もう6時半過ぎましたので、お夕食を準備する時間じゃないですか?」

(そうだった。さっさと3軒支払いを済ませてくるはずだったのに、

行くとこ行くとこで、もてなしてもらって、

予定より随分時間を使ってしまったわ。)



もう外はすっかり暗くなっている。

南極の氷は、大きくカットされているので、

ちょっとやそっとでは溶けきれそうにない。

「ビンに移して、お持ち帰りができるようにしましょうか?」

「え?」

「ちょっと待って下さい。ここに確か、スクリュー式のフタ付きのビンが…、

あった、あった。」

カウンターの下から取り出されたのは、

ジャムなどを入れる形に近い金のフタのガラス瓶。

「これは、もう熱湯消毒してありますから、

そのまま移してご自宅に持ち帰れますよ。

保冷剤も用意しましょう。」

そう言いながら、テキパキと準備をする男は、

マスターがいないのをいいことに、

香への過剰なサービスを進める。



「あ、そんな悪いわ。溶けるまで居てもいいんでしたら、ここで飲みますよ。」

「いえ、ひきとめた私が言うのもなんですが、

早く帰って頂かないと私が冴羽さんに怒られます。」

にっと口角を上げながら、

紙袋とエアクッション材と、瓶を用意し、

香のグラスを渡すように手を差し出した。

「またお二人で寄って下さい。その時は溶けるまでのんびりお過ごし下さい。」

「……あ、ありがとうございます。じゃあ、…お願いします。」

「かしこまりました。」

飲みかけのグラスを受け取り、器用に広口の瓶へ移す。



「あ、氷に気をとられて忘れていたわ!」

はっと思い立って、がさがさとバッグの中身に手を伸ばす香。

「あ、あの、これ撩の半年分のツケです。金額確認して頂いてから

領収書かなにかを頂ければと。」

「ああ、そうでしたね。僕も忘れていました。」

きゅっと瓶のフタを閉めた男は、素早く梱包して保冷の効いた紙袋を香に渡し、

物々交換のように封筒を受け取った。

そのままレジへ向かい、領収書を記入し始める。

香は、時計を見て帰宅時間を計算する。

(7時までには帰れるかな。すぐに食事つくらなきゃ。)



「香さん、これでいいですか?」

きちんと額面通りに書き込まれた領収書に、香は一安心する。



「ありがとうございます。ご迷惑おかけしました。」

「いえ、たぶん、マスターだったら受け取らなかったかもしれませんよ。」

「え?」

「さすがに、これは僕が勝手にする訳には行きませんが、このタイミングで

冴羽さんたちから、お代を頂くなんて心苦しくて。」

そう言いながら、男は香が持っていた封筒を返した。



「中に割引券が入っていますので、またいつでもご利用下さい。」

「そ、そんな!長いことお支払いできないままだったのに、

むしろ利子を付けてお返ししなければならないくらいなのにっ!」

「お二人とも大事なお客様です。ご遠慮なくいつでもまたお越し下さい。」

「……お、お気遣い、ほ、本当にありがとうございます。

……りょ、撩にも、伝えておきます。」

レジを挟んで向き合う2人は、同じ男を思い描きながら、

くすくすと笑い合った。




「そ、そろそろでなきゃ。」

つま先を出入り口に向けた香にバーテンダーが呼び止めた。

「あ、香さん、傘お持ちですか?」

「え?折りたたみ傘持ってますが。」

「よかった。久しぶりに雨が降るようですよ。昼の天気予報でそう言っていました。」

「ありがとうございます。じゃあ、急いで帰らなきゃ。」

「お気をつけて。」

「おじゃましましたっ!」

カランと音を立てたカウベルが心地良い余韻を残す。



「マスターに報告しなきゃな。」

レジをカシャンと閉めたバーテンダーは、

いつまでも笑みを残していた。


********************************
(15)につづく。





「Barカジノ」はミックがアパートにやってきた後、
撩と2人で飲みに行ったお店ということで、
こんな形で使わせて頂きました。

南極の氷ネタは、長沼毅さんが出演されていたテレビから。
この方、面白すぎるわ。
一方で、「美味しんぼ」第11巻にも
10万年前の氷ネタがありましたが、
空気のはじける表現がちょっと違うんだな。
実際の空気が溶け出す音は、
こちらの映像で疑似体験〜、最初の2分が南極氷ネタです。ご参考まで〜。

【誤植連絡感謝!】
Sさんありがとうございました!
純粋→純水に訂正しました〜。
本当にご一報助かりますぅ〜。
[2013.11.29]

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プロフィール

きまりも

Author:きまりも
since 2012.03.31.


5周年記念に
プロフ画像を貼ってみた。
十波ちゃん作。


中学高校時代に読んでいた
シティーハンターに
再燃しハマってしまいました。


ブログのタイトルは
ホトトギスの英名。
基本カオリストです。
丑年といえば年がばれるか?


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