胡麻さま「還ってきた男」(1)

カウンター 70000 hit 企画

皆様のご訪問、心より感謝申し上げます。
7万Hitイベントとしまして、
よろずサイト「言ノ葉隠れ」を運営されていた胡麻様の
お作をご紹介させて頂きます。
胡麻様は、2002年2月28日から2013年3月31日までの
約11年間という長きにわたって
サイトを管理されていらっしゃいました。
しかしながら、
ネット環境の変更に伴い、今年の3月末にサイトを閉鎖されました。
多数のお作の中で、1993年7月執筆のCH二次小説を1点お持ちで、
閉鎖に伴い、取り扱いは自由にとのことで、
香ちゃんのお誕生日に原稿を頂戴致しました。
どのタイミングで公開すべきかと迷っておりましたが、
今回この形でのお披露目をお許し頂ければと思います。
恐らく、2013年6月現在、
胡麻さまのこの作品を読めるのはここだけ?ということで、
20年前に紡がれた貴重なお作をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

全3回、本日より3日間連続で、18:18でお届け致します。
また、頂きました貴稿は
エクセル表示で全て行間がない状態でしたので、
勝手ながら、こちらで微調整をさせて頂きました。
できるだけお作の雰囲気を壊さないようにと心がけましたが、
こちらの未熟さ故、
拙策工事になりましたことをお詫び申し上げます。





『還ってきた男』(1)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



深い霧の中に彼女は立っていた。

うっそうと濃い霧と、それよりやや薄い霧が気流をつくり、

渦巻くように彼女を包み込んでいる。

目を凝らしてもそれ以外は何も見えない。

空気は湿気を含んで重く、しかも肌寒い。

こんな場所にただ一人立っているのだから、彼女はだんだんと不安になってきた。

その時、かすかだがどこからか声が聞こえてきた。

彼女はきょろきょろと辺りを見回す。



『―――…り……香……』



次第にはっきりしてきたその声が、自分の名を呼んでいることを彼女は知った。

「誰―――? 誰かいるの?」

声のした方に向きなおり、香は叫んだ。

彼女の声に反応するように、霧の中にぼんやりと人影のようなものが浮かび上がった。



『―――香、俺だ……』



ゆらゆらと不安定に揺れながら、それはささやくように言った。

香の体に電流のようなショックが走る。

それは低い、まるで口元を布で覆ったようなくぐもった声だったが、

たしかに聞き覚えのある声だった。



「ま、まさか……」



愕然とする香の前で、その人影と香を遮っていた霧が少しずつ引いて、

その人物が全容を現していく。



「あ、兄貴……?」



おそるおそる香は尋ねた。あんなに深かった霧はウソのように消えた。

そして、彼女の目の前に立っていたのは……もう何年も前に死んだはずの香の兄、

槙村秀幸だった。



『久しぶりだな、香……』



槙村が言った。

くすんだ色のスーツに包まれた小柄だががっしりとした体、

不精そうなボサボサ頭、そして香にだけ見せてくれるやさしい笑顔……。



「―――兄貴っ!」



ふいに香が槙村の胸に飛び込んだ。

あまりの勢いに少々よろけながらも、槙村は香を受けとめ、抱きしめた。

香は彼のシャツをわしづかみにして泣きだした。

シャツから漂うなつかしい兄の匂いに、涙が後から後からあふれてくる。



『長い間、つらい思いをさせた……。すまない、香』



槙村が香の震える肩をさらに抱き寄せながら、

耳元で言った。



(これはきっと夢だ。あたしはまた夢を見てるんだ…)



泣きながら、香はそう思った。

死んだはずの兄が戻ってきてくれる夢を、彼女はこれまでだって何度も見ている。

だからこれもまた夢にすぎないことはわかっていた。

たとえどんなにリアルでも、朝になれば消えてしまうのだ。



(それでもいい。たとえわずかな間でも、兄貴の存在を感じていられるなら……)



やがて香は涙を払って顔を上げた。

そこには四年前と少しも変わらない兄の笑顔があった。



『きれいになったな、香』



槙村は妹を見つめ、まぶしそうに目を細めた。

『それは―――今、幸せだからか?』

彼は香に問いかけた。

「え? う、……うん、まぁね」

香が戸惑いを見せたので、槙村の表情が曇った。

『どうした? リョウは優しくないのか?』

「リョウ―――? あいつがあたしに優しくなんかするわけないじゃない」

(―――そういえば、昨日もケンカしたんだっけ)

昨日の夕食後のリョウとのいさかいを香は苦々しく思い出した。

「あのもっこりバカはあたしのことなんて女と思ってないもの。

あいつ、女以外は毛虫のように嫌いなのよ」

『―――本当か?』

「そーよ。……だいたい、

なんだって兄貴はあんな奴にあたしのことを頼むなんて言っちゃったの?

おかげで、あーんなちゃらんぽらんな奴と一緒に暮らすはめになっちゃったじゃない。

面倒をみてるのは、むしろあたしの方よ!」

『リョウの奴、そんなにお前にひどいことを?』

「ひどいなんてもんじゃないわ!」

香は兄相手に息をまいた。

「女の後ばっかり追っかけて、ちっとも仕事しないんだから。

そのくせあたしには掃除、洗濯、食事の支度と、身の回りのことなんでもさせて。

稼ぎもないくせに毎晩のように飲み歩いて借金だらけだし、依頼人には手を出すし、

男の仕事は引き受けないし、のぞきはするわ、下着ドロはするわ……」



香にものすごい勢いでまくしたてられ、

槙村はあっけにとられたように黙り込んでしまった。

兄の様子に、香はハッと口をつぐんだ。

(あたしったら、せっかく兄貴の夢を見てるのに、何ぐちってるんだろ)

おそるおそる槙村の顔をのぞきこむ。

槙村はひどく難しい顔をしていた。



「兄貴―――?」



『……よくわかったよ、香』

やがて彼は静かに言った。

香の肩に手を置くと、

『リョウのことは、お兄ちゃんにまかしておけ』

「―――え?」

『俺はお前が幸せになるためだったら何でもしてやる。

―――そのために帰ってきたんだから……』

最後の言葉が終わらないうちに、槙村は香から少し離れた。

すると、その姿が急に薄れだした。

「あ、兄貴―――?」

驚く香に、槙村は別れを告げるようにそっと手を振った。

「兄貴!……やだ、行かないでっっ!」

追いすがろうとする香の前で、槙村は静かに姿を消した……。








「―――と、いう夢を今朝見たのよ」

「ほぉ……」

新聞を片手に、トーストを二枚いっぺんに口に含みながら、

リョウはいかにも気がなさそうに相づちを打った。

「ちょっとー、あたしの話、ちゃんと聞いてんの?」

朝食の並んだテーブルを、香が両手で叩いた。

「なんで俺が、お前の夢の話を真剣に聞かなきゃならんのだ?」

リョウはそう言うと、新聞をほうり投げ、

サラダ・ボールの中身をかたずけにかかった。

「だって、すっごくリアルな夢だったのよ。こう……兄貴のシャツをつかんだら、

兄貴の匂いなんかがして……。その上、あたしの話を聞いて真剣に怒っちゃって、

『リョウのことはまかしとけ』とか、

『俺はお前が幸せになるんだったら、なんでもする』とか言ってくれちゃって。

……あれはきっとただの夢なんかじゃないわよ。

あたしのことを心配した兄貴が、夢を通じて様子を見に来てくれたのよ。

そうよ、そうに違いない」

一人で頷いている香を横目に、

リョウは最後のコーヒーまできれいに朝食をたいらげると、

のっそりと立ち上がった。



「ん……? どこ行くのよ、リョウ」

「ちょっと食後の散歩にね」

「またぁ! そんなこと言って逃げる気でしょう? 

今日は駅前でビラ配りだって言ってあったはずよ」

「おまえ一人でやりな」

香の抗議など意にも介さず、リョウは玄関に向って歩きだした。

「こらぁ! 待ちなさい!」

香がハンマーを手に突進してくる。それをひょいと避けると、

リョウはスキップで玄関へたどりつき、ドアのノブに手をかけた。

「こら、リョウっ! いい加減にしないと……」

「いい加減にしないと、どーなんだよ?」

リョウは振り返り、怒鳴りかけた香を遮って、さもバカにした様子で言った。

リョウのふてぶてしい態度に、香は悔しさのあまり歯をギリギリと鳴らし、そして叫んだ。

「あ、兄貴が―――兄貴があたしの代わりにあんたを懲らしめに来てくれるんだから!」

「ほぉー」

リョウはまったく相手にしていない。

「『ゴースト』じゃあるまいし。まったく、いつになったらそのブラコンがなおるのかね」

笑いながら、外へ出て行ってしまった。

閉まったドアに、香は側に置いてあった花瓶を悔しまぎれに投げ付けた。

すさまじい音がして、花瓶が跡形もなく砕ける。

肩でハアハアと息をしながら、香はつぶやいた。

「ホ……ホントなんだから。兄貴は夢の中でだってウソなんかつかないわ。

だって兄貴は……兄貴はリョウなんかの百倍も千倍も、

あたしのこと想ってくれてたんだから……」



悔しそうに唇を噛みしめながらも、

香はかがんで花瓶の破片を拾いだした。

怒りとともに、

兄の百分の一も、千分の一も彼女のことを想ってくれない男のために、

せつない吐息を無理に飲み込みながら……。







「……ったく。朝っぱらからうるせえヤロウだ」

ポケットに手をつっこみ、背を丸めたいつものスタイルで、

リョウは歌舞伎町の通りをひょこひょこと歩いていた。

朝食を食べたばかりとはいえ、

そもそも起きた時間が遅いのだから、時間はそろそろ正午に近い。

昼前とはいえ、梅雨も近い東京の空はどんよりとして、空気もムシムシしている。

歌舞伎町の通りも閑散としていて、

人の数よりも地面にまき散らされたゴミの数の方がずっと多いくらいだった。

そんな街を、リョウはたいした感慨も持たずに、

ひょいひょいゴミをよけながら歩いていく。

「いくつになっても兄貴、兄貴って、しょうがねぇ奴だぜ。

んなこと言ってるからいつまでたっても色気がつかねぇんだ」

肩をすくめ、なおもボヤく。



『―――しょうがないのは、お前だ』



不意に、耳元で声ならぬ声がした。

「―――ああ?」

リョウはぎょっとして、辺りを振り仰いだ。

「なんだ今の『声』は……。気のせいか? いや、確かに一瞬人の気配が……」

その時、リョウの頭上で何かかきしむ音がした。

反射的にリョウはわずかに体を右に傾けた。

そのすぐ横を派手な色をしたものがすりぬけた。



カッシャ―――ン!



リョウに当たりそこねて、けたたましい音とともに地面に叩きつけられたのは、

そばのビルの三階あたりに取り付けてあったキャバレーの看板だった。

看板は粉々に砕け、その極彩色の破片が辺り一面に飛び散った。

「危ねぇ、危ねぇ。脅かすなよな」

リョウは看板のついていたビルの壁を見上げた。

殺気らしいものは感じなかったし、人影も見えない。

おそらく止め金でもはずれたのだろう。



「またゴミが増えちまったな」

看板のかけらをけっとばすと、

リョウは再び歩きだした。



「さーて、この時間から開いてる店というと、やっぱ美樹ちゃんのとこかな」

新宿の通りへと、足の向きを変えたその刹那―――。

爆発的なエンジン音とともに、

真っ赤な車がとんでもないスピードで彼のいる通りに入ってきた。

「―――!」

車は左右に乱暴にタイヤをきしませながら、

あきらかに正気ではない勢いでリョウの方へと突っ走ってくる。

ビルと車体の間に押し潰されそうになり、

リョウはとっさにジャンプすると、車の天井に片手をつき、

そのまま一回転して反対側に転がり降りた。

車はビルにつっこみ、止まったはいいが、

メチャクチャになったエンジン部分から火が吹き出した。

「―――ちっ」

リョウは運転席のドアに飛びついた。

中から運転手を引きずり出し、そいつを引きずったままビルとビルのすき間に飛び込む。

車が爆発したのは、その次の瞬間だった。

ガソリンをたっぷり入れていたらしい。

真っ黒な煙がたちのぼり、爆炎が止むまで数分を要した。

「あ、わわわわ……」

リョウの横で、男が意味不明のうめき声をあげた。

びっくりしてはいるようだが、目がとろんとして、手足に力が入っていない。

あきらかに、何らかの麻薬の症状だった。

「朝っぱらからラリってんじゃねぇよ! ちっとは人の迷惑考えろ!」

腹立ちまぎれに、そいつを一発ぶっとばすと、リョウは立ち上がった。

遠くからかすかにパトカーや消防車のサイレンが聞こえてきたからだ。

面倒なことになる前に、

彼はさっさとこの場からずらかることにした。







カラン、カラン…… 

喫茶『CATS AYE』のドアをくぐると、

「いらっしゃ……なーんだ、冴羽さんか」

と、美樹の迷惑そうな声がリョウを迎えた。

「なーんだ、はないだろ。美樹ちゃん、俺だって客なんだぜ」

リョウはドスンとカウンターのいつもの席に腰掛けた。

「冗談じゃないわよ。昨日ここで香さんと大ゲンカしたのは誰?

椅子を三脚、コーヒーカップを六客とミルク入れ、砂糖壷を計四つ壊したこと、

憶えてないの?

昨夜、ファルコンと二人で夜中の二時まで後片付けしてたのよ」

美樹はカンカンに怒っている。

香とここでケンカしたのは、今月に入って三度目だったので、

リョウも笑ってごまかすしかない。



「だからさー、迷惑かけてる分、こうやってせっせと通ってるじゃない」

「いっそもう来てくれない方が、ずっとありがたいわ」

「またそーゆうことを。第一、物を壊すのは、俺じゃなくて香の方だろ?

文句は香に言ってほしいね」

「その香さんを怒らせているのは、あなたでしょう?」

美樹がコーヒーカップを乱暴にリョウの前に置く。

「知らないよ。あいつが勝手に怒ってんだから」

「勝手なのはあなたの方よ。どうして香さんにもっと優しくしてあげられないの?

こんなふうにケンカを続けるよりずっと簡単なことじゃない。一言、香さんに……」

「ストーップ。それ以上聞くと、コーヒーがまずくなる」

リョウはひらひらと手を振って、美樹を黙らせた。

「もぉ―――」

美樹は腰に手をあてて、リョウをにらんだ。

「好きにしなさい。……あなたなんか、そのうち絶対にバチが当たるんだから」

言い捨てて、美樹はプイと中に引っ込んでしまった。

リョウは肩をすくめながら、コーヒーをすすった。



『―――兄貴があたしの代わりにあんたを懲らしめてくれるんだから!』



出際の香のセリフが、ふと脳裏を横切った。

(まったく、24にもなった女のセリフかね、あれが)

 鼻先で笑いかけて、ハタと彼はカップを宙に浮かしたまま考え込んだ。

(そういえば……さっき、看板やら車が突っ込んでくる前に耳元で聞こえたあの声

―――どっかで聞き覚えがあると思ったら、あれは槙村の声だ!)

彼は茫然とした。しかしあわてて首を振り、ハハハと無理に笑った。

(何考えてんだ、俺は。死んじまった奴の声なんて聞こえるわけないよな。

まったく、香の奴が妙なこと言うもんだから……)



「どうしたの、冴羽さん?」

中から戻ってきた美樹が一人で笑っているリョウを気味が悪そうに見つめている。

「い、いや、別に」

「ふーん。……ねぇ、ところでちょっと留守番を頼んでいいかしら? 

仕入忘れた物があるのよ。今日、ファルコンは『仕事』でいないし。

……冴羽さん、どーせヒマなんでしょ?」

「ああ? たくっ、この店じゃ客扱いされてないな」

「ごめんね、すぐ戻るから。あ、ここにあるコーヒー、好きなだけ飲んでいいわよ」

そう言ってエプロンをはずすと、美樹はリョウを置いて出ていってしまった。

一人店内に残され、リョウは淋しくコーヒーをすする。



すぐ戻ると言ったくせに、30分たっても美樹は帰ってこなかった。

そのうち退屈し、コーヒーにもうんざりして、リョウは窓ごしに通りを眺めた。

昼時にしては人通りが少ない。

降りだしそうで降らないどんよりとした空に、人々は外出を控えているのかもしれない。

たまに通る者も、なんとなく憂欝な表情をして歩いている。



「あーあ……。こんな店ほっぽって、ナンパでもくりだそうかなー。

新宿じゃ香に出くわしてビラ配りさせられちまうから、渋谷の方でも……」

退屈と憂欝を頭から追い出そうとするかのように、

リョウはポンと手を打って自分自身に提案した。

そして、さっそく実行に移そうと立ち上がりかけたのだが……。



『―――相変わらずだな、お前は』



例の声が、半ばあきれかえった調子で聞こえてきた。

リョウはぎょっとして辺りを見回した。

もちろん店内には誰もいない。

その時、店内がまるで日が陰ったようにふいに薄暗くなった。

照明がまばたくように点滅し、

店中のインテリアや食器などがカタカタとかすかな音をたてる。

リョウは辺りの様子に目を見張っていたが、

何か気配を感じて、ハッと自分の右隣の席を振り返った。



「―――!」



リョウはゴクリと息を飲み、思わず椅子ごと一メートルほど後ずさった。

彼の隣には、いつのまにか「人」が座っていた。

いや、「人」と言えるかどうか、何しろそれは、どんよりとした空気に包まれた、

およそ質感のない古いモノクロ映像のようにあいまいな輪郭をした、

まるで影のような人物だった。

ぼさぼさの髪をして、

くたびれた背広らしきものを着たその人物がゆっくりとリョウの方を向いた。



「……ま、槙村!」



リョウは愕然とした。

振り向いたその男は間違いなく、

五年も前に死んだはずのリョウのもと相棒、

そして香の兄である槙村だったのだ。



『―――久しぶりだな、リョウ』



低い、くぐもったような声が、

聞こえるというより脳裏に響くように不気味に伝わってきた。

「槙…村なのか? ほ、本当に……」

リョウにはまだ信じられなかった。槙村はゆっくりとうなづいた。

『ああ、そうだ』

「そうだって……。てことは、幽霊なのか、お前……」

我ながら間抜けな質問だとは思ったが、ほかに言葉が思いつかない。

『まぁ、そうだな』

生前ほどではないが、槙村は意外と表情豊かで、苦笑を浮かべている。

「い、いったい何で今ごろ、……五年も経ってから、しかも真っ昼間に……」

リョウは動揺を隠せなかった。

『いろいろ事情があってな。それよりリョウ、お前に聞きたいことがある』

「―――い?」

『俺はお前に五年前のあの日、香を頼むと言った。そうだな?』

槙村はまっすぐにリョウを見つめてきた。

「あ……ああ」

いくら元親友とはいえ、幽霊に見つめられていい気はしない。

リョウは全身にわき上がってくる悪寒と鳥肌を必死でこらえなければならなかった。

『五年間香が無事だったところを見ると、

お前がこれまでちゃんと香を守ってきてくれたことはわかる。

……だから、てっきり香は幸せに暮らしてるものだと思ってこの世に帰ってきてみれば、

香本人はけして今幸せではないと言った。これはどういうことなんだ?』

「どうって……」

『香が幸せじゃない原因はどうやらお前だ。

お前があいつを傷つけ、苦しめているからだ。

お前は俺がどんな思いで、あの時あいつのことをお前に頼んだかわかってるのか?』

 槙村の目付きがだんだん鋭くなっていく。

『少なくとも、こんな悲しい思いをさせるためじゃないぞ!』

 彼が叫んだ瞬間、戸棚に並べてあったグラスが触れもしないのに砕けて飛び散った。

「―――!」

リョウは度胆を抜かれ、割れたグラスと槙村を見比べた。

「お、おい、今のお前が……?」

おそるおそる聞いてみる。槙村は得意げに答える。

『ああ、そうだ。俺は死んで霊魂だけになった。

しかしどうしても妹のことが心配で、霊界で五年間修業して霊力を高め、

守護霊に昇格してこの世に戻ることが許されたんだ』

「守護霊――? もしかして、香の?」

『そうだ』

「じゃ、その、ひょっとして歌舞伎町でのあの事故は、

二件とも、ひょっとしてお前がこの変な力で……?」

『そーいうことだ』

槙村は悪びれもしていない。

「あのなー! ヘタすりゃ俺は死んでたかもしれないんだぞ!

いったい何の恨みがあってあんなひでーまねするんだ!」

不気味なのも忘れてリョウは怒鳴った。



『あれは警告だ』



あっさりと槙村は言う。

『もうお前に香はまかしておけない。お前が側にいると香が不幸になるからな。

それに、これからは俺が香を守るから、お前など不要だ。

……要するに、お払い箱ってわけだ。これからは香に近付くな』

一方的に槙村はリョウに言いわたした。

「て、てめー」

リョウの方は、血管の一本や二本切れそうな気分だ。

「黙って聞いてりゃ、突然出てきて勝手なことばっか言いやがって。

何で俺がそんなことお前に命令されなきゃならんのだ!

そもそも勝手に香を押しつけて死んじまったのはお前だろ?

感謝こそされても、文句言われる憶えはないね。

幽霊になったからって、でかい顔するんじゃねーよ!」

カウンターに拳を叩きつける。

と、同時に、天井のライトの一つがはずれ、リョウの頭に直撃した。

「―――いっ!」

リョウは両手で頭を抱えた。それを見て槙村はせせら笑う。

『カッカするな、リョウ。いくらお前が超一流のスィーパーでも、

俺の霊力の前ではしょせんただの人間にすぎん。

とっとと香の前から姿を消せ。でないと生命の保障はしない。……わかったな、リョウ』

高飛車に念を押すと、出てきた時と同様、唐突に槙村の姿は煙のようにかき消えた。

「―――?」

槙村が見えなくなると、

薄暗かった店内がウソのように明るくなった。

できれば今の出来事も夢だと思いたいところだったが、

砕けたグラスや壊れたライトの残骸はそのままなのでそうもいかない。

リョウが痛む頭をさすっていると、美樹が帰ってきた。



「遅くなってごめんねー、冴羽さん。あら……何よ、これ!」

カウンター周辺の散らかりようを見て、

美樹は持っていた荷物をばっさりと落としてしまった。

「まったくもー、何やったのよ、冴羽さん!

あなたって人は、物を壊さずに留守番もできないのー?」

すっかりおかんむりになって、

美樹はグラスの欠片を拾いながらくどくどと小言を言い出した。

訳を話したところで、どうせ信じてもらえそうにないので、

リョウは大人しくそれを拝聴するふりをしたが、

心中はもちろんそれどころではなかった。



(香に近づいたら生命の保障はないって?

あいつ、いっぺん死んだら性格が変わったんじゃないか? いや……)

思いなおして、リョウはぷるぷると首を振る。

(そうじゃない。奴は変わってなんかいないんだ。……もともとあーいう奴だったんだ。

とんでもないシスコンで、妹のためなら人の一人や二人殺しかねんくらい…)

背筋にゾーと悪寒が走った。



(―――俺、今度ばかりは無事にすまないかも……)



なおもくどくどと美樹にしぼられながら、

リョウはかつてない強敵の出現に大きなため息をもらした。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(2)につづく。






槇兄ぃのお怒りは当然?

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プロフィール

きまりも

Author:きまりも
since 2012.03.31.


5周年記念に
プロフ画像を貼ってみた。
十波ちゃん作。


中学高校時代に読んでいた
シティーハンターに
再燃しハマってしまいました。


ブログのタイトルは
ホトトギスの英名。
基本カオリストです。
丑年といえば年がばれるか?


9万hit記念に
とりあえず作ってみた
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